束の間のバラード
#7 KD‐0080
正直、草薙京は退屈していた。
一週間ぐらいなら外出しなくても平気だろうと踏んでいたのだが、どうにも我慢が限界に来ている。
生来、自分はじっとしていられるような人間ではないのだ。
「ちょっと前の俺なら我慢できずに飛び出してかもな」
膝の上で眠っている猫――この家に居ついているといるらしい――小飛を撫でながら自嘲する。
それをやれば自分の為に、自分の知らない戦いをしている人達の頑張りを無駄にするぐらいの事を理解する頭はある。
それでも、逃亡生活をする前の自分なら、理解していながらも飛び出していただろう。
「まぁ、少しは成長したかな、俺?」
自分で言ってしまっては元も子もないのであるが。
確かにネスツからの逃亡生活は最悪の一言に尽きるが、精神的に成長させてくれたことに関しては、
「ま、感謝してやらんこともねぇか」
※
「フン、言うだけのことはあるようだな」
晶の吼破を受けて昏倒した『京』に一瞥をくれ庵はつぶやいた。
見た所、晶の呼吸はさほど乱れていない。小娘にしては良くやると言えるほうだろう。
「さて、残るはキサマだけだが」
庵は残った『京』に身体を向ける。
「やるんだろ?」
晶も習うように『京』問いかけた。
彼は薄く笑うと、
「確かに――テメェらを消し炭にしてやりてぇが、俺は怪我したくはねぇんだ。せっかく手にした自由だ、手放したくねぇ」
意外にも両手を挙げながらそう言った。
「だが、まぁ、テメェらがどうしてもって言うなら――俺の自由の為だ、限界までギアを上げて相手させてもらうぜ」
手を上げたまま告げる『京』の周囲の大気が陽炎に揺らめき始める。
「ほう――ただのまがい物ではなさそうだな」
今しがた相手にした雑魚とは違う。だが本物とも違うその熱気とプレッシャーを感じながら庵は笑みを浮べた。一方の晶はそれに気圧され一歩下がる。
しばらく品定めするかのように庵は『京』を見ていたが、やがて――
「行け」
そう告げた。
「あン?」
「二度と俺の前に現れないと誓えるなら見逃してやると言っている」
「テメェとツラ合せてると何かムカついてきやがる」
「ならやるか?」
「いや、ムカツクが自由の為だ。こっちも見逃してやるよ」
「フン」
背を向け、歩き出した『京』を見ながら庵は鼻を鳴らす。
しばらくして、『京』は足を止める。
「そうそう」
そして、右手に炎を灯した。
「!」
「こいつは礼だとっときなッ!」
百八式 闇払い!
振り向きざまに『京』は炎を放つ!
「フン、礼などいらん」
それに対し庵は即座に反応し、
八神流 百八式――
「とっとと失せろッ!」
庵も即座に炎を放った!
闇払い!
『京』の放った朱い炎と庵の放った蒼い炎が地を滑り、互いが引き合うようのぶつかり合う。
瞬間――爆音とともに爆煙が舞い上がり、庵や晶、野次馬たちの視界を覆い隠した。
「まさか『ヤツ』以外に俺と互角の炎を使う奴が現れるとはな」
不快なのか嬉しいのか、庵は目を細めてから、その煙の中に庵は躊躇わずに入っていく。
煙が晴れた頃には『京』もそして庵の姿も無くっていた。
※
二年前、知人の退魔士の仕事を始めて見る事となった廃ビルを恭也は見上げていた。
迂闊と言えば迂闊であったが、狙撃屋だけを考えていたせいで相手がこの街で活動するための拠点について考えていなかった。
いくつか考えてみたが、ここが一番拠点として使うのに適した環境ではある。
恭也は静かに気合いを込めると、意を決して歩き出した。
と、
「おい」
唐突に声をかけられ足を止める。
臨戦体勢はとかない。相手が誰であるかは分からないが、警戒しないに越したことは無いだろう。
入り口から出てきたのは、褐色の肌をした背年。
適当に切った銀髪に革のツナギという変わった格好をしているが、その格好以上に異彩を放っているのはその右手に付けている真紅のカスタムグローブだった。
「人様ン家に無断で入ろうってのは、いい根性してやがんな」
「それはすまない。人が住んでいるとは思わなかったんだ」
「ナニ言ってやがる。物騒なモンを二本も携えてる野郎のセリフじゃねぇだろ」
青年は言葉と共に、暴力的な気配を放ち始める。
恭也も青年に反応するように、研ぎ澄まされた気を放つ。
「ハナから殺る気満々でやってきたんだろ?」
獰猛な笑みを浮べ、彼はグローブに火を灯す。
その炎は恭也の家に居候している古武術使いが使うソレによく似ている。
「話が出来る奴なら話をするつもりだったんだがな」
言って恭也も小太刀を抜く。
「…………………………」
「…………………………」
睨み合いののち――
青年が炎を握りつぶし、地を踏みしめる。
恭也が剣を持った両手に力を込め、地を踏みしめる。
まさに互いが飛び付きあおうとした瞬間、
タン! タン!
二人の足元に乾いた音とともに弾痕が穿たれた。
「「!」」
二人は同時に足を止める。
視線を向けると、そこには銃を構えた少女が立っていた。
彼女は銃を構えたまま微笑む。
「まったく、あなたは目を離すと何をするかわかったもんじゃないわねK'」
「ほざいてろ! こいつがここに近寄ってきたから追い返そうとしただけだ! 止めたからにはテメェがそいつをなんとかしろよ!」
言い捨ててK'と呼ばれた青年はビルの中へと消えていった。
警戒をしながらもどこか所在無さげにしていた恭也に、少女は笑いかけると、
「構えないで。いきなりケンカをするほど思慮が浅くはないわ」
その言葉が偽りでない事を証明するために、銃をしまう。それと同時に中から、
「誰のコト言ってやがんだオイ!?」
などと聞えてきたがとりあえず二人とも無視する。
それから恭也はやや考え、
「わかった」
うなずくと、習うように小太刀を背の内側に隠してあるホルスターにしまった。
「ここへ何をしに来たの?」
手近な木によりかかりながら、少女が訊ねてきた。
どこまで話すべきかと、恭也はやや思案してから、少女の方に向き直って答えた。
「俺は今、ボディーガードの仕事の最中なんだ。依頼人を狙う連中がかなりしつこくやって来る。
そこで――」
「その依頼人を狙っているグループの根城が近くにあるんじゃないかと思って探してたわけね」
恭也はうなずく。
「まぁ、確かにこの場所はそういう意味ではおあつらえ向きね……だけど私達はあなたの言うグループの人間じゃないわよ」
信じてもらえないかもしれないけど、少女は最後に小さくつぶやく。
なぜ彼女達がこんな場所に、何かから隠れるように生活しているかは分からない。
だが、そうせざるを得ない状況にあるのだろう。
それに先ほどの青年もそうだが、目の前の少女もかなりの手錬であることが雰囲気で分かる。
もしかしたら、どこかの組織を裏切ったかもしれないな、などと邪推もしてしまう。
「そうか。ならいいんだ」
色々と考えたが、彼女達は別段悪人には見えないため恭也は少女を信じるコトにした。
「え?」
ただ、少女には意外であったらしくやや調子外れた声を出す。
「すまないな。騒がせた」
「信じるの?」
立ち去ろうとする恭也の背中に少女の不安げな声が掛かり、振りかえる。
「こう見えても人を見る目はあるつもりなんだ」
小さく笑って答える恭也に少女は一瞬キョトンとし、それから、
「だからって、あなたの置かれてる状況からして、こういう場所にいる人間の言葉って易々と信じれる物じゃない気がするのだけれど」
「疑って欲しかったのか?」
そう返されて、少女はうめいた。
疑われず、信じてもらえるのはありがたいことなのだから、彼が去るのを止める意味は皆無だ。
そんな少女に、微笑を浮べながら恭也が口を開く。
「自分でも、もう少し人を疑った方がいいかもしれないと思うときもあるが、本業の方の同僚からは『お客さんをリラックスさせる言葉遣いを心がけましょう。そのためにはまず、どんなお客さんでも信じるように』って言われててね。どうにも、ボディーガードの仕事中もその事を心がけてしまうんだ」
少女は唖然としている。どうやら毒っ気が抜けてしまったらしい。。
ボディーガードと名乗る通り、会話中、微塵の隙も感じられなかった彼がこんなことを言うとは思ってもいなかったからだろう。
今も隙を見せてはいないが、恭也が少女に対して敵対心というものを一切持ち合わせていないコトは分かる。
「それじゃあ、俺はこれで。ほんと、騒がせてすまなかった」
恭也はそう言って少女に軽く手を振ると、踵をかえした。
だが、
「ちょいと待ってくれ」
ビルの中から、K'とは違う野太い声が掛かった。
再び恭也は足を止め、ビルへと身体を向ける。
「アンタと嬢ちゃんは互いに用が無いかも知れんが、俺にはちょいとばかり用があるんだ。『高町恭也』さんよ」
現れたのは二メートルはあろう巨漢。
「俺も少し用が出来た」
恭也は緩んでいた警戒を強めながら静かに告げる。
「なぜ俺の名を知っているか教えてもらいたいからな」
「構わんぜ。なんならアンタの素性まで話してやろうか? どうせこっちの素性も話すつもりなんだ」
ニヤリと笑う大男。
「ちょっとマキシマ!? どういうコトよ?」
事態が理解できない――恭也も同様だが――少女は大男に慌てて問い掛ける。
だが、男――マキシマは恭也に視線を向けたまま気軽に答える。
「なに、簡単な話だ。向こうは依頼人をネスツの手から守りたい。こっちはネスツから逃げつつもネスツを潰したい。利害が一致してるんだ。少しは協力し合えるかもしれない。これからそう言う話をしようというお誘いさ」
マキシマが話してくれた事情というのは、恭也の邪推の通りの内容だった。ようするに、彼らは裏切ったのだ。ネスツを。
「それで? 俺にどうして欲しいんだ?」
「話が早くて助かる。俺たちは足が欲しいんだ」
「用意しろってことか? 虫が良すぎやしないか?」
「最後まで聞けって――確かにその通りだが、その代わりと言っては何だが、俺たちをアンタ達の作戦において好きに使っていい」
「おい!」
会話を聞いていたK’が横から口を挟もうとしたが、マキシマに制され舌打ちし、面白くなさそうに口をつむぐ。
「好きに使ってもいいが、その作戦で俺たちも、その足でこの街から逃げれるようにして欲しい」
「どっちにしろ、虫のいい話だ」
恭也は肩を竦めるが、
「だが、まぁ悪い話じゃないな。俺の独断では決めかねるから、仲間と相談する時間をくれ」
「ああ。構わない」
マキシマがうなずくのを確認してから、恭也はポケットから携帯を取り出す。
――と、同時に携帯が着信を始めた。
グットタイミングと言うべきか、相手は美沙斗からだ。
「携帯なんかで連絡を取るのは危険じゃないかしら?」
「向こうもそれを承知でかけてきてるからな。何か考えがあるんだろう」
少々不安そうなウィップにそう返してから、電話に出る。
「もしもし」
[ああ、私だ。散歩中に色々あってね、その報告と相談だ]
彼女は広東語でそう言ってきた。頭の中が日本語モードであった恭也は聞き取れず、
「すみません。もう一回、言ってくれます?」
そう、広東語で返す。
すると、
[散歩中色々あってね、その報告と相談だ]
美沙斗を言い直してくれた。英語で。
ようやく、恭也に彼女の意図が見えた。言語を統一せずに会話をしようということだろう。
そこで、恭也も広東語で返した。
「こっちも色々ありました。ヨハンとブルータス。それと明智光秀が足と引き換えに協力してくれるようです」
[ヨハン? ブルータス? 明智光秀?]
やや彼女は戸惑ったようだが、すぐに合点がいったらしい。
[なるほど。それで足と引き換えか]
恭也が言った名前の意味を美沙斗が気づくかどうかは賭けであったが、どうやら理解してくれたようだ。
「はい。それで、そっちの報告というのは?」
[こちらにも協力者ができた。休暇でこちらに来ていた軍人三人と総隊長だ]
前者に心当たりはなかったが、後者には心当たりがある。かなり心強い味方だ。
[それで、彼らと話し合った結果『彼』の輸送方法が浮かんでね、それを報告しようと思ったところなんだ。
そして、その方法は同時にヨハン達の足にもなるだろう]
「それで、その方法というのは?」
[これから言う場所に足を呼び寄せる。詳しい話は後でする。今回は場所だけ把握していてくれればいい]
「わかりました。それで、場所は?」
[複数個所ある。まず、『氷那が見守る水溜り』]
「はい?」
[地名は主に細かな波に寝てる人たちのアイデアだ。詳しい場所は、関係者に聞くといい。続けるぞ? 次に『さざなみが抱く花見の穴場』『カラスが墜ちたビル』『夕日が歌う月と守護者の展望台』今のところは以上だ」
暗号の意味が分かるものから推測するに、たぶんある程度の広さがある場所である。さらに言えば、場所などこんなところで言う必要はない。後で会えるのにわざわざ言う理由があるとしたら……
「俺にも場所の案があります」
[どこだい?]
「『桃と剣士の馴れ初めの屋上』『月が桜から借りた宴会場』『黒い狐との決戦地』『兄妹剣士修行の地』。地名は今思いついたモノですけど、俺の身内か居候、あるいは知り合いである現チーフ、巫女、剣道家なら詳しい場所を知っています」
[了解した。全てが決定しだい、夕食時にでも話そう]
「分かりました」
「まさか、言語を統一せずに話すとはな」
電話が終わるなり、マキシマが感心したように言う。
「挙句、ほとんどが暗号による会話だ。盗聴する身にもなって欲しいもんだぜ」
「盗聴してたのか?」
さして驚いた様子もなく、恭也が尋ねる。
「まぁな。だが、効果的な手段による会話だ。一応俺は今の会話を言葉の上では全て理解できたが、地名がな……」
「ああ。ほとんどが身内ネタ、あるいは地元の人間しか分からないようにしたからな」
「なるほど。盗聴されてもそう簡単には分からないわけだ」
「明日もここにはいるのか?」
恭也に訊かれ三人は目で会話をする。
「ええ。でも、こっちから会いに行くわ。午後のおやつの時間に『翠屋』にね」
「そこまで知っていたのか?」
マキシマは首を横に振って、ウィップを見た。
「当たってた? なんとなく、雰囲気がウェイトレスをやっていた眼鏡の子とレジをやっていた小さい子に似てたから、カマをかけてみたんだけど」
「似てるか?」
「似てるわよ。強いんだか弱いんだかよくわからない雰囲気とか」
ほとんど初対面の相手にそう言われ、
「そうか?」
首をかしげる。
「まぁ、とにかく、その時間、俺も店にいるようにする。たぶん、作戦を話すだろうからよろしく頼む」
「ええ」
ウィップがうなずき、視線を移すとマキシマもうなずいた。K'だけは相変わらずだったが、二人が納得しているのなら問題はないだろう。
「それじゃあ失礼する」
「あぁっと、ちょいと待ってくれ」
マキシマに呼び止められ、足を止める。
「なんだ?」
「本業は喫茶店の店員なんだろ? なら俺達の接客の手伝いもしてくれないか?」
「構わんが、俺の接客は少々手荒いぞ?」
「問題ねぇよ」
K'は右手に炎をともしながら答えると、
「こそこそと人ン家にやってくるような連中には、手荒いほうが喜ばれんだからよ!」
言って、彼はガラスのない窓に向かい、右手から生み出した炎を蹴り飛ばした。
※
赤い道着の男が学生服の男に向かって走る。そして、急に屈んだかと思うと一瞬足を出してくる。
それをガードすると、再び男は走り出し、同じようにまた足を出してくる。そして、一瞬の隙を突き、学生服の男を捕らえると、一本背負いで投げ飛ばした。
何とか受身を取ったが、再び近づいてきた道着の男が、再び足払いを出してくる。完全な固めの技だ。そして、隙を見てまた投げを狙ってくることだろう。だが、そう何度もやれる学生服の男ではない。ガードから一瞬にして肩からのタックルに転じ、道着の男を吹き飛ばす。
それを追い掛け学生服の男は走り、地を蹴る。そして、相手の起き上がりに重ねるように空中からカカト落しを繰り出す。
しかし、起き上がるなり、道着の男は右の拳に全エネルギーを集め、真上に突き出しながら飛び上がった。さながら、地より真上に飛昇する龍の如く。
そして、神なる龍の名を冠する拳は学生服の男を完全に捕らえた!
「うおわぁぁぁぁぁぁっ!」
K.O.
学生服の男の絶叫とともに、画面に大きくそう表示され、赤い道着の男がアップで映り、言った。
「これが昇龍拳だ。堪能してくれたかな?」
「くっそー、また負けた! おいチビ! もう一回勝負だ! こんどは負けねぇぞ」
「いいよ〜、何回やっても負けないから」
恭也と美沙斗。二人が緊迫した渦中で、今後についての見当をそれぞれで見つけた協力者と相談していたとき、当事者にして最重要人物であるはずの草薙京は――
BATTLE’TIL YOU DROP! FHIGT!!
美由紀とともに帰ってきたなのはと一緒に仲良くゲームをしていた。
どうにも、緊迫感などなく平和そのものである。
だが、京にとって平和でのんびりできる時間は今週末を境に、当分先になってしまうだろう。
「へへ〜、なのはの勝ちぃ!」
「クソぉ! もう一回だもう一回!」
京にとって高町の家にいるこの時間は、激しい曲だけで構成されたアルバムの中に一曲だけ気紛れで混じっているバラードのように流れていた。
〜NEXT〜