#2
「勝負あり!」 声とともに、私の首に向かってきていた木刀がピタリと止まる。 その時ようやく、赤星さんが試合前に言っていた前置きの意味が分かった。 とにかく、強い。だから、下手するとこっちのせいで怪我する可能性があったんだ。 でも…… 悔しい。悔しいから文句のひとつでも言やろう。 二刀流がずるいとか、そもそも剣道じゃないとか……って、思いつく事のことごとくが赤星さんに前置きで釘をさされてたことだし……。 うー……魚月ちゃんフラストレーション上昇中! 「?」 あれ? なんか、突き付けられてる木刀の切っ先が気のせいかぶれてるような…… あ、気のせいじゃない。 そう思ったのと同時に―― 「あー……もうダメ……限界……」 雫さんは突き出したポーズのまま横にバタンと倒れる。 え? あのー……。 どうしろと? 私のせい……じゃないよね? 色々な思考がぐるぐる回ってる私の耳に、 「あ〜……やっぱり倒れたか」 なんて言う雫さんの友達の声が聞こえてきた。 まったくもう、分かってたなら止めなさい友人! 「もしかして、雫ちゃん……徹夜明け?」 「そ。自業自得な事に早朝訓練付」 「悪いことしちゃったなぁ」 いや、別にそこで赤星さんが気を病む必要はないと思うんだけど、そんなことより! なに? 私はそんな体調の悪い人に負けちゃったわけ? まっとうな剣道の試合じゃないけど、それでもこれだけのハンデもらって私って負けちゃったわけ? 「だぁぁぁぁぁっ! 納得いかな〜い!?」 気がつくと私はなぜか叫んでいた。 ★ 目が覚めるとなぜか、ベッドの上だった。 「はて?」 えーっと……祥子と風校剣道部と桃学剣道部の合同練習を見に行って、勇吾さんに試合に誘われて、名古屋さんとやらと試合して――そうそう、決着がついて、貧血で倒れたんだ。 で、あの後、保健室に運ばれたってワケか。 納得納得。 「目ぇ覚めたぁ? 貧血っ娘」 祥子の声がする。たぶん、私が目を覚ますまでずっと待っててくれたんだと思う。 「うぃーす」 それに適当なあいづちを打つと、ベッドを囲う白いカーテンが開いた。 「まったく貧血持ちの剣士って、ゲームや漫画でも見ないわよ?」 「ごめんごめん。もう大丈夫だからさ」 彼女に両手を合わせてから私は立ち上がる。 まだちょっとフラフラするけどこのぐらいなら大丈夫。 「で、迷惑かけたからお詫びになにかご馳走するわ」 トントンと履いた靴の爪先を床で叩いて調整しながら、 「何がいい?」 私は尋ねる。 「んー」 祥子はちょっと考えてから、にんまりと笑って答えた。 「翠屋のシュークリームセット」 「了解」 そんなわけで、やって来たのは『喫茶 翠屋』。 ここは叔母のなのはさんがパテシエ兼店長をしてる喫茶店で昔から雑誌にも取り上げられるくらいいいお店。ちなみに先代店長はおばあちゃん。店長の座を娘のなのはさんに譲って隠居すると宣言しておきながら、今でも厨房でちゃっかりパテシェをやってるのは公然の秘密。 入り口のドアを開けると、ドアの上部に付けられた鈴がちりんちりんと涼やかな音をたてる。 「あ、雫ちゃん。祥子ちゃん。いらっしゃい」 「こんにちは〜」 「こんにちは〜」 カウンターから微笑みかけてきた美人がこの店長のなのはさん。 それと、もう一人――私にとってある意味重要な人物がいるはずなんだけど…… 「あれ? なのはさん、母さんは?」 「聞いてないの? 忍さんなら今日はお休みだけど」 あらま。 「初耳」 「じゃあ、言い忘れちゃったのかも。 あ、二人ともカウンター席でいいよね?」 カウンターテーブルを拭きながらなのはさんは聞いてくる。 もちろん、私も祥子も文句は無い。 「なのはさん。シュークリームセット。お代は雫の給料からでも引いといてください」 「はーい」 ちなみに、私は良くここで手伝いに来ている。しっかりお給料ももらえるので、まぁ、バイト感覚。祥子はそれを知ってるんで、今みたいなコトを言ったわけだ。 それにしても、おごるとは言ったけど、言葉としてはわりとひどくないかな、それ? うなずくなのはさんもなのはさんだけど。 「雫ちゃんはどうする?」 「う〜ん」 どうしようか、迷っていると横から、 「ドリンクはオリジナルミルクティーで」 なんて、洒落にならないセリフが聞こえてきた。 「でも、あれはフィアッセさんか忍さんがいないと……」 祥子ちゃんも知ってるでしょと付け加えて困った顔をするなのはさん。でも、祥子はかなり意地の悪そうな表情をし、人差し指をピッと立てた。 「大丈夫よ。その二人から一応、技を伝授されている見習いが横にいるから」 ぽん! となのはさんは手を打つ。 「本気? 祥子?」 「本気の本気。さぁさ、修行の成果を見てあげるから。わたしは普通のお客さんじゃあないから味が悪くても問題なし。ほら、いい特訓になるじゃない? 私って優しいよね?」 「その物凄く楽しそうな顔からは悪意しか感じないんだけど」 「気のせい気のせい。それは雫の被害妄想よ」 私はげんなりと嘆息してから、席を立つ。 「なのはさん。これから入りますけど、いいですか?」 「あはは……うん。むしろ助かるかな」 なんとなく、なのはさんの表情から微笑ましい光景を見れた――なんていうことを感じてしまうのはやっぱり被害妄想なのかなぁ…… ☆ 「な・つ・きぃ〜…ぐぉっ!」 風校の校門をくぐるなりいきなり抱きつこうとしてきた心時を私は容赦なく蹴っ飛ばす。 「い、いいパンチ持ってるじゃねぇか、魚月」 「今のをどう見たら手なの!?」 お腹を押さえてうずくまっているこの大学生は、幼馴染の水無月心時。 なんでも、生後間もない私にプロポーズしたことがあるらしく、それ以来(?)私にずっとちょっかいを掛けてくるロリコンだ。 「なっちゃん容赦ないな〜」 「そうだよ。心時さんって、いつも魚月に優しいのに」 口々に言ってくるのは友人ズ。 なんだかんで部活以外でもこの二人とはよくつるんでいる私の大親友達だ。 ちなみに背が高くて中世的な雰囲気の方が五月で、背は私と同じくらいでなんだかぽやっとした感じの方が真奈。 「それは毎日顔を合わせてないから言えるセリフなの」 「そうかなぁ?」 「関係ないと思うけど」 「それに、心時は何だかんだで女の子には優しいんだから」 友達がいのない友人達とおしゃべりをしていると、ようやく心時が復活した。 「ふぅ。危うく、また天使になるところだった」 「そのままなっちゃえば良かったのに」 「うぅ〜……なつき〜」 ぷい、とそっぽを向く私に心時は情けない声を上げながら、擦り寄ってくる。 「でも、心時さんみたいなカッコいい天使なら見てみたいかも」 「あ、いいねぇ〜ソレ」 「心時が天使になったって、どうせ羽は黒くていたずらばかりして怒られてる落ちこぼれだって」 くっついている心時をべりっと剥がしながら、盛り上がっている二人に水を差す。 絶対、カッコいい天使になんてなれる器じゃないって心時は。 そんな私の考えを知ってかしらずか、 「ひっでぇな〜。あれはあれで俺なりに頑張ってたんだぞ。仲良しメンバーが俺以外みんな白くなった時はあせったあせった」 心時は口を尖らせて言う。 何だかまるで自分が天使だったみたいな言い方。 ちょっと気になったから突っ込んでみよう――そう思った私を遮るように、真菜が心時に話しかける。 「ねぇ、心時さん」 う〜ん、バッドタイミング。 「ん? なに?」 「これからわたし達、おいしいって評判の喫茶店に行く予定なんですけど、一緒しません?」 そんな誘いに心時は迷いもなく即答した。 「お、いくいく」 それから、お財布の中身を確かめると、 「うん。これなら平気かな」 なんて、つぶやく。 「もともと、さっきの一件で不機嫌になってる魚月においしいものでもおごるつもりだったんだ。 バイト代も入ったばかりだから、魚月のついでに君達の分もおごるよ」 「え、本当ですか」 「やったー」 軽く驚く五月と手を叩いて喜ぶ真菜。 ほら、やっぱり私以外の女の子にだって優しいんだ。 『喫茶 翠屋』 風校のすぐ近くにあるこの喫茶店は何度も雑誌に取り上げられてるお店。 風校まで来たんだからよっていかないと嘘になる――そう真菜が力説するもんだから、三人で行こうって話になったわけ。まぁ、さっき+αで心時も加わったんだけど。 「いらっしゃいませ〜」 店内はわりとこじんまりとしてて、でも隅々まで手が行き届いた感じがして綺麗で、雰囲気もいい感じ。 「四名様ですか?」 訊かれてうなずく。 そんでもって、気づいた。 「あ」 「さっきは、迷惑かけちゃったみたいだね」 ごめんねと、微笑む。 そう、私たちを出迎えたのはエプロンを付けた雫さん。どうやら、ここでバイトをしてるみたい。 「お好きな席へどうぞ。すぐに注文を伺いに行きますね」 そうして、私たちが選んだ席は奥にあった大きめのボックス席。四人座ってもまだ三人くらいはいけそうな席だ。 「ねぇ、さっきの人。なっちゃんと試合した人だよね」 「うん」 「あの時は気が付かなかったけど美人だったね」 それは私も思った。正確には改めて美人だって思ったって感じかな。 「心時さんはどう思う?」 「うん。確かに美人だったよな。笑顔は可愛かったし」 む〜……何かずるいなぁ……美人な上、笑顔が可愛いってのは。心時の鼻の下が伸びてる気がするし……。 「あれ? 魚月、何ほっぺた膨らましてるの?」 「ほっぺたが、何?」 眉をひそめる私に、 「あ、いや。あたしの見間違えかも」 五月は視線を逸らして答える。 何なのよ……もぅ……。 なんとなく、私が不機嫌になっているところに、店員さんがやってきた。 そして、私たちの前に一つずつシュークリームを置いていく。 「あの――わたし達まだ何も」 「気にしないで。うちの姪っ子がなんだか迷惑かけたらしいじゃない? そのお詫びだって。雫ちゃんから」 姪っ子……私はなんとなく、雫さんのほうに視線を向ける。彼女は他のお客さんの注文を受けている。それが終わったのか、雫さんが振り返った時に目が合った。笑顔で小さく手を振って素早くカウンターの方へと向かってく。 私は軽く手を振り返してから、シュークリームに視線を戻す。 「結構……いい人かも……」 「なっちゃん――餌付け?」 「ちゃうわ!」 嬉しそうに何を聞いてくるんだ……まったく。 それから四人――訂正。心時を除いた三人で好き勝手注文しまくってから帰りましたとさ。 「食べまくってたのは、魚月だけでしょうが」 そんな、五月のセリフなんてきこえなーい。 そしてなぜだか帰り道。心時は財布を見ながら涙してたけど、私だけのせいじゃないはず……………たぶん。 ★ 「ただいまー」 と、玄関を開けると、 「お帰りなさいませ、雫お嬢様。ご連絡をいただければお迎えに上がりましたのに」 我が家のメイド長、ノエル・K・エーアリヒカイトが出迎えてくれた。 まぁ、メイド長なんて言っても、メイドはノエル一人しかいないんだけどね。 「気にしないでいいよ。祥子と遊んでただけだから。みんなは?」 ノエルに鞄を手渡し、歩きながら訪ねる。 「士朗様と飛鳥様は二人とも自室です。まだお休みにはなられていないようです。旦那様からは本日ご連絡がありまして、明日の午前中には戻られると仰っていました」 「じゃあ明日は一週間ぶりにみんながそろう晩御飯だね」 嬉しいけど、厳しい剣の稽古の再来は喜べなかったり……う〜ん、ちょっと複雑。いや、まぁ、剣の稽古は嫌いじゃないけど始まると徹夜が出来なくなるからなぁ……。 「それで、母さんは……ファリンに付きっ切り?」 「はい。もうすぐ修復が終わるそうで、ここのところは遅くまでやっておられます」 「ファリンが直れば、ノエルはお姉さんで上司だね。少しはノエルの仕事が楽になるんじゃない?」 「だと、いいのですが」 ノエルは嬉しそうに答える。 ちなみに、ファリンというのは最近、父さんが海外での仕事中、とある骨董品屋で見つけたという自動人形。母さん曰く「エーディリヒ式・最後期型」だそうだ。詳しくは良く知らないけれど、ノエルと同じタイプの――ようするに姉妹機らしい。 まぁ、自動人形とは言っても、人間と同じように感情を持ってるし、自己学習で色々と習得していくから、ほとんど人間と同じ。 とりわけノエルは母さんの子供の頃から動いているから、もはや人間と見分けがつかないところまで来ている。 私だって、母さんがノエルをメンテナンスしているところを見なければ、ノエルが人間じゃないなんて信じられないくらいだ。 だから、ファリンをノエルの妹とみんなで呼んでいる。 それにしても、 「なんだかノエル、すごい嬉しそう」 「そうですか?」 ファリンの話題で談笑しながらノエルと廊下を歩いていると、見慣れない絵が廊下に掛けてあった。 「なにこれ?」 一見すると、普通の女性の絵だ。線の細い女性が椅子に座り、正面を向いて微笑んでいる。モナリザと同じような構図の絵。 別段おかしなところなんてない――ないハズなのに……絵の女性と目があった途端、悪寒を、覚えた。 「こちらの絵は忍様が本日お買いになられたものです。ここの所、奥様はずっと部屋に篭りっぱなしでしたので、私が外出をお勧めしたのです。その際にご購入されたものですが――雫お嬢様? どうかなさいました?」 この絵に対して私の中で何かが騒いでいる。剣士としての高町の血じゃなくて……普通の人間とは違う月村の血……だと思う。 そうでなければ、もっと根本的な何か。そう――例えば、剣士と吸血鬼、その両方が持つ防衛本能。 この絵は、敵。 本能がそう警鐘をならしてるみたい……。 私がこれだけの違和感を覚えてるのだから、私よりも血の濃い母さんがこの感覚を覚えないはずがないのに―― 「雫お嬢様?」 黙りこんで絵を睨んでいる私に、ノエルが心配そうに声を掛けてくる。 「何か……何か嫌な感じがする絵だね。これ」 「そうですか? 私は何も感じませんが――もし雫お嬢様がそう感じるのであれば、明日にでも奥様にご相談されてみてはどうでしょうか?」 「うん。そうしてみる」 それから私は絵から目を逸らし、再び足を動かし始める。 ノエルが開けてくれた自室のドアをくぐり、私はそのままベッドへ倒れこむ。 「ふー……何か、今日は疲れた……」 「お嬢様。今晩のトレーニングはいかがされますか?」 鞄を机の脇に置いてから、ノエルは訊いてくる。 「う〜ん……なし! ってのはダメ?」 「はい。恭也様より、サボらないように見ていて欲しいと仰せつかっておりますので」 「父さんめぇ……」 まぁ、剣を教えて欲しいって言い出したのは私だし、言ったからには出来る限りやり通すって父さんと約束もしちゃってるから、やらないわけにはいかないんだけど…… 「それじゃあ……」 私はベッドから立ち上がって、ノエルに笑いかける。 「手合い。ノエル、付き合って」 ノエルは一見すると普通のメイドさん。でもそこはノエル。主を守るための戦闘能力と武装はバッチリ。母さんが趣味でつけた必殺武器も装備して、向かうところほとんど敵無しってカンジ。 「はい。かしこまりました。まだ少々やり残している事がございますので、その後でもよろしいでしょうか?」 「うん。全然OK。じゃあ、本でも読んで待ってるから準備が出来たら教えて」 「はい」 そんなわけで、今日の夜の訓練メニューはノエルとの実戦訓練に決定。 ――にしても、今日って本当にハードな一日な気がするんだけど、気のせい? ※ とりあえず、あの時みた黒天使はあれから姿をみせてない。 まぁ、どっかに隠れて様子を伺っているだけってコトもありえるけど、それだけなら放っておいてもいい。 とにかく、何がしたいのかは分からないが、聖女の力を探してるってことは天界絡みのろくでもない厄介事に決まっている。 俺が居る限り、魚月を危険な目なんかに遭わせてたまるもんか。 ――でも、こうやって俺が黒天使の邪魔をしてた場合って、厄介事が一向に片付かないんだよなぁ……。 天界から天使が降りてくるくらいな厄介事ってコトは放っておくとそうとうやばくなりそうだし――だからって、魚月を危険な目にはあわせたくないし。 俺ってばどうすればいいんだ!? …………………ま。なるようになるか。うん。 |