「……ッ!」 目を覚ますのと同時に、流緒は布団を吹き飛ばさんとするかの勢いで起き上がった。 「痛ッ」 同時に苦痛で顔を歪める。 外傷はなさそうなのだが、内側からズキリと痛む。だが、その痛みのおかげで意識がしっかりと覚醒した。 「ここは――」 一面くすんだ白。言い換えるなら灰色。そんな色をした見覚えある小さな病室だった。 「 見慣れた小さな部屋の中にあるのは四つのベッドと仕切りのカーテンだけ。もっともすぐ横のカーテンは閉じてはおらず、横のベッドで寝ている美斗の姿が見て取れた。 呼吸は落ち着いている。どうやら互いに大事はなかったようである。 「それは違うぞルー」 まるでこちらの心中を読んだかのような絶妙なタイミングでそんな声が聞こえた。視線を声のほうへと向けると、女性が一人、病室の入り口に立っている。 黒いタンクトップにウェストの細いデニムパンツ。その上に白衣を引っ掛けたこの眼鏡の女―― 「何がだ?」 「君も彼女も、そもそも私の腕では延命が限界だった」 悔しそうに目を伏せながら告げる橙乃。滅多な事で嘘を言わない女性だ、それは事実なのだろう。 「……それじゃあ――」 「安心しろ。不本意だが噂の女子高生を呼ばせてもらった」 どうやら自分達の怪我は医者が手を上げ、特殊修復能力者に頼らなければならないほど深刻だったらしい。 治癒能力を持つ能力者は稀少で、件の女子高生以外の治癒能力者に、流緒は出会ったことがない。それを考えると持つべきものは良い知り合いだ――と、安堵する。 「まったくもって医者に首を吊れと言っているような力の持ち主ではあったが、彼女自身は美人であり思わずいじめ――もとい、可愛いがりたくなる性格だったので満足だ」 「あんまし可愛がり過ぎんなよ」 「善処する」 至極真顔でうなずく彼女に肩を竦めてから部屋を見渡す。相変わらず調度品どころか時計やカレンダーすらない殺風景な灰色の部屋にうすら寒さを覚えつつ、問う。 「今何時だ――いや、俺が運ばれてきてからどれだけの時間が経った?」 「君が我が城に連れて来られたのは十七日の十六時三十二分四十秒だ。現在は十八日の十時七分――ふむ、私がこのセリフを言い終える頃には四十二秒、といったところか。そうすると十八時間二十五分二秒経過していることになるな」 「クソッ! 半日以上も寝ちまってたか!」 毒づいてベッドから降りる。それと同時に内臓達がズキリと悲鳴を上げ、顔をしかめた。 「本来の法則から逸脱した修復手段によって治癒された傷だ。脳がまだ治ったことを認識していない可能性がある。それが一種の幻想痛になっているのだろう。傷がなくともその痛みは治癒前の怪我の痛みだ。そう耐えられるものでもあるまい。それに無理に動くけば痛みが引くまでの時間が伸びるだけだぞ」 「傷は治ってるんだろ? なら問題ねぇよ」 半日前に耐えてた痛みだ、と告げてロビーの公衆電話へと向かう。 痩せ我慢しているのが見て取れるほどのしかめっ面をしながらゆっくりと歩みようやく電話へと到達したが、 「……金もテレカも携帯も……荷物ごとあの廃ビルに置いて来ちまったか………」 うんざりと、固形物を吐き出すように嘆息をして公衆電話にもたれ掛かる。 病室に戻る気力もない。それでもとりあえず電話から身体を剥がすと、手近なソファと向かう。 まるで内臓の中を茨の身体を持つ蛇が駆けずり回っているかのような痛み。そんな痛みに耐えながら、ふらふらとした足取りソファに腰掛けた。 「……いっ――てぇ……」 さすがにもう人前で涙を流すような歳ではないが、それでも痛みで目尻に涙が溜まる。 素直に橙乃の言うコトを聞いて寝てればよかったのだろうか――と、思わなくもないが、至急事務所に伝えなければならないことがあったのも事実だ。だが動いてしまったことで痛みが悪化した気がする。これなら女医の言う事を素直に聞いとくべきだったか――痛みで朦朧とする意識の中そんな意味のない思考が堂々巡りをする。 息もだいぶ上がってきたそんな折、 「あ! るーくん!? もう動いて平気なの!?」 どこか幼げな聞き覚えのある女性の声が聞こえてきた。 視線を声の方へと向けるとぼんやりとした視界の向うに、頭の左右に二本の尻尾をもった背が低くく、声の通りの幼い容姿――自称二十代――の女性が見て取れる。 「……き……あ……?」 「ちょっと!? るーくん顔が真っ青!」 彼女を認識した途端、流緒の霞がかった意識が澄み始める。 「 「え? え? ど、どうしたの流緒くん?」 「俺と美斗のやってた犬探し後任は誰がやってる?」 「影也くんと蒼ちゃんだけど?」 「二人は俺達の入ったビルに向かったのか?」 「そうだと思うよ。だって流緒くん達、犬を探すためにあそこに入ったんでしょ?」 「じゃあ、すぐに伝えてくれ。俺と美斗の入った廃ビルはかなりヤバい!」 「分かってる。流緒くんがそんな怪我するような場所だもん。だからちゃんと二人には注意するように――」 「あのビルが有してる能力は注意してどうこうなるようなもんじゃねぇんだ! あの発動条件はどんなに注意深い人でも満たしちまう可能性がある!」 彼女の言葉を遮るように捲し立てる。 姫在だって流緒がそういった危ない相手に慣れているのを知っているだろう。だからこそ、普段は滅多にアドバイスや注意をしないような彼女が二人に注意を促したと言っている。だが、それでもまだ彼女の認識が甘いことは否めない。だからこそ、流緒は後任の二人が怪我をする前に伝えなければならない。 そんな切羽詰った流緒の焦りに気が付いたのだろう。彼女は一つうなずくと公衆電話へと向かう。 「流緒くんがそこまで焦るならのんびり事情をきいているヒマはなさそうだね」 普段の元気で快活な笑顔とは違う、妖艶さと自信に満ちた笑みを浮かべた姫在は、公衆電話にテレホンカードを入れながら彼に訊ねる。 「そのビルの名前は?」 笑みの意味に気が付いた流緒は、姫在が公衆電話のボタンを押し終わるのを待ってから廃ビルの名前を告げた。 「OK…… 直後――自身の力を呼び起こす言葉と共に姫在の瞳が白銀色に輝いた。 「ん……」 目を開けると、強い白が襲ってくる。それでも目を瞑るまいとしばらくやぶ睨みをしながら耐えていると、ようやく明るさに目が慣れてくる。 最初に見えたのは白熱灯と白い――いや、元は白のようだが汚れて黒ずんだ灰色の天井。 「ここ――は?」 つぶやきに、返事が返ってきた。 「ここは我が城――楠橙乃診療所にある唯一の病室だ」 声の方へと視線を向けると、白衣を着たクールな雰囲気の女性が腕組をしながら立っていた。切れ長な鋭い目に面積の小さい楕円の眼鏡が似合っている。タバコを咥えてたらもっとカッコいいかもしれないな……などとぼんやりと美斗は思う。 「君は犬探しの仕事中、不幸にも普通に生活していたのならばありえないダメージを受け気絶。それを血まみれの流緒――いや、レオが姫在の元へ運び、姫在がここへと君らを連れてきて今に至る、と言ったところか」 「そうですか……」 先輩と所長にかなりの迷惑を掛けてしまった。 (使えない奴――とか思われてたらいやだな) 初めての外回りで超常的な要因があったとはいえ意識を失い、目が覚めると病院のベッドの上。これでは外回りに回せないとか思われてしまうかもしれない。 これが何度目かの外回りであったのならここまでネガティブな考え方をしなかったかもしれない。だが、そんな事を言っていても仕方が無いし、もう起きてしまった事だ――そう自分に言い聞かすが、暗澹たる思いはなかなか消えない。 そんな鬱々とした思考をしていると、女医が何かを思い出したかのように声を出した。 「そうだ。先ほど君が言った『ここは?』という質問を正確に答えていなかったな。君の寝ているベッドはAベッドと私が呼んでいる自慢のベッドだ」 「は?」 「三丁目にあるくれなゐ屋というホームセンターで安売りしていたのを買った代物でな、安売りだったワリには悪くない……気になる材質なんだがこれもなかなかどうして悪くない物を使っていてな―――」 「そ、そうですか。あの……ここがどこかだいたい分かったのでもう結構です」 放っておくとこのパイプベッドについて制限なしに語りそうな女医の語りを無理やり遮った。 「そうか」 語りを遮られたのが残念だったのか、少し目を伏せてから橙乃が聞いてくる。 「まぁとりあえず――おはよう、と言っておこう。気分のほうはどうだ?」 訊かれて美斗は身体を起こして軽く動かす。 「……っぅ……」 すると節々だけでなく身体の内側の方からも痛みを感じて顔をしかめた。 「ふむ……痛み以外に違和感か何かはあるか?」 「――いえ……痛いだけです…」 「そうか。ならばもう大丈夫だろう。その痛みも一時的なモノだ。無理に身体を動かすような馬鹿な――それこそルーのような馬鹿な真似をせず、大人しくしていればすぐに引くだろう」 ルーと言うのは綾行先輩のことだろう。彼が何をしたのか少し気になる。 とりあえずそれを訊く前に言うべきことがあった。 「あの……」 「なんだ?」 「ありがとうございます。ご迷惑おかけしました」 「何の事だ?」 「怪我した私を見てくれたんですよね?」 「ああ。もっとも私の実力が及ばずに、やむを得ずあまり取りたくないような方法で治療したがな」 そのやむを得ずとった方法というのが気になるが、ここで話を横道に逸らしたくなかったのでとりあえず続ける。 「でも診てくれた事には変わりないです。だからお礼を言わせてください」 「――ふ」 女医は目を細め口の端を吊り上げるように小さく笑う。だがその笑い方に嫌味や嘲りのようなものを感じられない。 「あの――どうしたんですか?」 案外、礼を言われた事に照れているのかもしれない――そんな事を考えながら問うと、彼女は微笑を浮かべたまま答える。 「いや、なに――礼儀正しいな、と思ってな。私の受け持った患者で私に丁寧に礼を告げる者など稀少だから……笑ったことを気にしたのなら謝る。でも……うん、礼など言われ慣れていないからやや気恥ずかしいけど、悪い気分ではないわね。それに――そうね、なるほど。表の人達がこの言葉の為に頑張れる――という意味が少し分かった気がするわ」 「………………」 「な……なに?」 じーっと見つめる美斗に女医はやや引き気味に訊いてくる。 「先生って、照れると女性っぽいしゃべり方になるんですか? ちょっと冷たい雰囲気を感じてたのに急に口調が変わったせいか可愛くって」 そう美斗が笑うと、彼女は右手で真っ赤な顔を覆って嘆息した。 「香具師羅事務所の人間には黙っていてね……まだ、あなた以外に誰にも知られて無い部分なんだから」 「ええ。分かりました」 顔を赤めて言ってくる橙乃に美斗は笑顔でうなずく。 「ふぅ……君が礼儀正しい上に約束を簡単に破りそうに無い人間で安心した」 それで落ち着いたのか、元の口調に戻って橙乃が安堵する。 「さて、それはどうでしょうか」 「今この場でしゃべる気がなくなるような目にあわせてもいいんだがね?」 わきわきと両手を動かしながら口だけで笑う橙乃。 「堅く口を閉ざしたいと思います」 それを見、美斗は慌ててそう告げた。 「む……残念だな。出来れば約束を破ってもらいたかったんだが」 「それを聞いたら絶対に口を滑らせまいと誓いたくなりました」 そんなやり取りの後、ややして病室の入り口が開いき背の低い影が入ってきた。 「おじゃましまーす」 「こら、姫在。病室に明るく大きな声を出して入ってくるな」 「ぶーぶー! いいじゃない。病室には美斗ちゃんしか居ないんだし」 「そんなもの理由にならん。今は彼女が起きていたから良いものの、寝ていたのなら多大な迷惑であることを知れと何度言ったら……」 くどくどと何か語り始める橙乃を横目に、姫在はトテトテと美斗の元へとやってくる。 「調子はどう?」 「あ、はい。あちこち痛いですけど大丈夫みたいです」 「そっか」 にぱぁっと笑う姫在にどこか癒されるモノを感じながら、釣られるように美斗も微笑む。 「ところで先輩はどこですか? そこのベッドが乱れてるから先輩が寝てたんだとは思うんですけど」 「ああ。るーくんならロビーのソファで寝てる」 「なんでまたそんなところで?」 「電話まで無理して歩いたのはいいけど、ここに戻ってくる気力がないんだって」 なるほどと思わず美斗は納得した。先ほど橙乃が言っていた馬鹿な真似というのはその事を指すのだろう。 「えっと、質問ついでにもう一つ訊いていいですか?」 「なにー?」 「結局、私と先輩が担当してた依頼ってどうなったんですか?」 「んーっとね……」 人差し指を下唇に当て、眉間に皺を寄せながら姫在はむーと唸る。 それから、 「何から話せばいいかな?」 逆に聞き返されて、美斗は少し考えた。 「じゃあ、とりあえずジョセフィーヌちゃんは見つかったのか、ってトコでお願いします」 「ああ、うん。それなら見つかったみたいだよ」 「そう――よかったぁ」 安堵する美斗。だが、姫在は冷たい声色で続きを告げる。 「死んじゃってたみたいだけどね」 「――え?」 途端、美斗表情が凍りつく。 「るーくんが男の子の遺体を見つけたっていう部屋の隣でね、その男の子と同じように死んでたって」 「え? え? ジョセフィーヌちゃんが何で? ……いや、え? ちょっと、待ってください――先輩が遺体を見つけた?」 連続する自分の知らない事実に、美斗はこめかみに人差し指を付けながら情報を整理するように思考する。 「あ。そうか。るーくんがその事を伝えるより先に、美斗ちゃんが意識失っちゃったんだっけ」 ぽん、と手を打って一人納得する姫在。 そんな置いてきぼり状態の美斗を気遣ってか、彼女はフォローらしき言葉を続ける。 「まぁ、その辺りは後でるーくんと影也くんの報告書を合わせて見せてあげる。それと予定だけど――今日明日中にでも誰かにクライアントへ報告に行ってもらうつもり。もし動けるようなら、るーくんと一緒に報告しに行く?」 「え? あ、はい――明日の朝までに痛みが引いてくれるなら行きます……というか行きたいです」 うなずく美斗に、姫在は笑いながら両の手のひらをポンと合わせて笑った。 「じゃ、きーまり!」 そうして仕事の話がひと段落すると同時に、 「―――と、いうワケだ。分かったか姫在!」 橙乃が入り口の方からビシッと指をさして何かを満足そうに語り終る。 『はい?』 今の今まで橙乃が姫在に説教を続けていたなど知らない姫在と美斗はその行動の意味を理解できず、まったく同時に眉をひそめた。 5 / Recruit-MagnetRoom (The Third quarter) 〜 To Be Continued |