「ふぅ」 右腕が元に戻り、軽く呼吸を整えてから訊いてくる。 「無事か?」 「あ、はい」 「そうか」 安心したようにそう漏らす。 「あの、その……先輩、さっきの手……」 「ん、ああ。お前と同類だよ。性能は戦闘向きだから、お前とは正反対けどな」 肩をすくめる流緒に、美斗は内心で舌打ちする。なんて迂闊な質問をしたのか、と。 助けてくれたのは紛れもなく先輩で、彼がどんな方法であろうともそれに変わりはない。 ましてや、自分は そこまで思考し、流緒にお礼を言おうとしたとき、すでに目の前に彼の姿はなく、鉄パイプの観察し始めていた。 「何て事のない鉄パイプだよなぁ……でも、なんでコイツ微かに震えてるんだ?」 つぶやく声に、美斗は反射的に思った事を口にする。 「あの……先輩。ほら、オカルトに物が勝手に動くとかっていう現象ありませんでしたっけ?」 「あ? ああ――ポルターガイストの事か? 俺も考えなかったわけじゃないが……だとしたら、鉄パイプしか動かないのは変だろ?」 確かにそうだ。 話しに聞く限り、ポルターガイストというのは『騒々しい幽霊』の名が示すとおり、色々な家具等が暴れだす超常現象の一つである。それが原因で鉄パイプが動いたのなら、周囲に落ちているゴミ等が動かないのは不自然といえるだろう。 だとしたら原因は何なのであろうか? 考えたところで推理する為の材料が致命的に足りない。 なら、自分も鉄パイプを調べてみるのが一番だろう。そう考えて数歩進んだ。 瞬間―― 「っ! ……その場で止まれ! ついでにそっから動くな!」 流緒の切迫した声がして、足を止める。 「ど、どうしたんですか?」 とりあえず言われたとおりその場から動かないようにしながら訊く。 だが、流緒の耳には入らなかったらしく。返事は無い。 彼は真剣に鉄パイプを調べていた。 様々な方向から触れ、文字通り様々な角度から見る。 「笠鷺」 「はい!」 「ゆっくりと、一歩だけ前に歩け。いいか? ゆっくりだぞ? 間違えたらどうなるか分からねぇからな」 初めて聞く真面目な声色の先輩に、美斗はごくりと喉を鳴らす。そして、言われたとおり出来るだけゆっくり一歩だけ踏み込む。 「……………」 再び鉄パイプを調べてから、 「笠鷺」 「はい」 「今の速度で今度は後ろに下がれ。そうだな……五歩ぐらいがいい。いいか、ゆっくりだぞ? 速いと見逃しちまう可能性がある」 何の事かは美斗に分からなかったが、少なくとも流緒は何かを掴んでいる。ならば、助手である自分は言う通りにしていればいい。 もっとも、自分でアレコレ考える間もなく終わってしまうのはなんとなくもったいない感じはするが。 そんな事を思いながら、美斗が三歩目の足を地に着けたとき、流緒は立ち上がった。 「もういいぞ」 そう言ってから、美斗の方に向き直る。 「お前、ちょっとケータイだしてみろ」 「はい?」 「いいから、とっととしろ」 「はい」 意味が分からなかった。だが、反論の余地はないようだ。 「んで、メモリとか何でもいい。とにかく中に保存してあるデータを確認してみろ」 「?」 本気で言っている意味が不明なのだが、言われた通りにアドレス帳を開く。 「あれ?」 どうにも携帯電話の調子がおかしい感じがするのだが、そんな事はどうでもよかった。 今、問題があるのはアドレス帳に何のデータも無い事だ。 そういえば、先ほど流緒はなんと言ったか。確か、保存してあるデータを確認しろと言ったはずだ。 美斗は慌てて、着メロ、メールボックスなどを開くが、一切データが消えている。ご丁寧に着信履歴まで消えているのだ。 「どうして?」 「いいか? 笠鷺。とりあえずお前。俺にこの距離以上近づくなよ? 俺のケータイまでイカれたら困る」 「え? え?」 状況がまったく理解できない。 鉄パイプから一連の状況のせいで冷静さが欠け始めていたのだが、今の携帯電話の件で完全とまでではないもののかなり冷静さを欠いてしまってるのだろう。 「とりあえず深呼吸して落ち着け。ここに入ってくる時、俺はなんて言った?」 そんな美斗に気付いたのか、流緒が落ち着いた声で言う。 美斗はとりあえず言われたとおりに深呼吸をする。それだけで、少し気分が落ち着く。 「取り乱すなんてお前らしくない。少なくとも、俺のイメージの中のお前はクールなやり手探偵もどきなんだぞ?」 褒めているのか貶しているのか。何となく後者な気がしないでもないが、それでもいつものようなどこか投げやりな流緒の口調に、頭に昇っていた血がゆっくりと降りて行くのを感じる。 「すみません」 それだけ言ってから、気を取り直す。 「落ち着いたみてぇだな?」 「はい」 「んじゃあ、訊くが――聞き込みの時、変な事をされなかったか?」 変な事――言われて、美斗は首を傾げるが、さしあたり思いつく事はなく、首を横に振る。 それを確認すると、 「そうか」 流緒は嘆息した。 「仕方ない。先に進むぞ。とりあえずの目的はジョセ探しだしな」 「あ、あの」 歩き始めた流緒を追いかけながら声を掛ける。 すると、足は止めずに困ったような視線だけ背後に美斗に向けた。 「なんだ? ――ってか、今のお前は一定距離以上、俺に近づくなよ?」 「その理由が訊きたいんですけど」 とはいえ、美斗も不用意に流緒に近づくような真似はしない。現状は理解できなくとも、流緒が何かを掴み、自分になにか異変が起きていることぐらいは理解している。 「あのな」 彼は視線を前に戻し、それから背中越し告げた。 「お前は俺より考えられる頭を持ってるんだ。原因や理由が分からなくても、状況くらいは推理できるだろ? 少なくとも俺もお前も持ってる情報量はかわらねぇんだぞ? いや、違うな――情報収集をしてきた分、お前の方がパズルのピースは多いんだ。俺よりピース同士の隙間は少ないはずだぜ? ならどうにか組み合わせて、自分の現状を絵にするくらいはできるんじゃねぇのか?」 ようするに、遠まわしに自分で考えろという事だろう。 「まぁ、ヒントはくれてやる」 正直言ってしまえば、答えを教えてくれれば身の振り方が分かるので気が楽だとは思うが。 「自分の物差しで計るな。異能者――ソウルオーバーってのは、何も俺やお前だけじゃないんだ」 ソウルオーバー……初めて聞く単語だった。 ただ、『俺やお前だけじゃない』と言うことは、ようするに超能力者の事をさしているのだろう。現に言い直してはいるものの異能者と一旦言っている。 「ついでに言えば、ソウルオーバーってのはサイコメトリーのような分かり易い能力だけじゃない。そんな視覚的、知覚的に単純な能力なんてモノの方が少なく、普通はありえないような事を平然とやってのけれる『力』の方が圧倒的に多いんだ」 つまり……どういうことなのだろうか? いまいちピンと来るものがなく、眉をひそめる。 そして、ふと思う。 獣のようになった先ほどの流緒の右手。だが、アレだけではまったくもってどんな能力であるかが分からなかったなぁ、と。 なんとなく、思考が現状把握から逸れているのに気付き、かぶりを振る。 それから、しばらく歩き…… 「あ、そうだ」 流緒が突然足を止め、思わず約束の距離以上に踏み込みかけた。 「最初にこうしとけりゃ良かった気がすんな」 そんな事をつぶやくと、流緒の身体から黒い霧のようなモノが吹き出してきた。 「え? え?」 「大丈夫だ。この霧は無害。というか、俺の分身みたいなもんだぞ」 慌てかけた美斗にそんな言葉を適当に投げ、落ち着かせる。 霧が全て流緒の身体から出切ると、流緒と美斗ちょうど中間地点に集まり一つの形を作り出す。 その形とは漆黒の毛並み雄々しい鬣(たてがみ)を持つ獅子。 普通の獅子よりも二回り以上の巨体。本来の百獣の王は決して手に入れることの出来ないモノ――純白の翼を背に持ったその獣の目は、どこか慈愛に満ちた女性のような光を湛えている。 「レオ。とりあえず、笠鷺の護衛についてくれ」 レオと呼ばれた獅子はうなずくとゆっくりとした動作で、美斗の横に付く。 「一応、そんなナリでもレオは純粋な乙女なんだ。あまり傷つけるような事は言ってやるなよ」 言うだけ言うと、流緒は今までとは比べ物にならない速度で歩き出す。 「ちょっ、あの、先輩? この子……」 結局、言葉が正しい形をとる前に、流緒は手近な部屋に入っていってしまったため、美斗は肩を竦めた。 そんな美斗に何かを感じたのか、レオは彼女の右手を軽く舌で舐める。 「きゃう」 突然の出来事に美斗は小さく悲鳴を上げる。 それと同時に―― (ミトはミトに出来る事をすればいい。無理にルオに付いて行く必要は無い) 女性の声が、聞こえた。声だけで美人だとイメージできる。そんな声。 右手を見ると舐められた場所が軽くスパークしていた。 (まさか……強制的に……?) その事実に驚きながらも、ふと素朴な疑問が浮かぶ。 今の声は誰のものだったのか。 いや、そんなもの疑問でもなんでもなかった。 「今の声……あなた?」 レオはうなずく。 意外とその仕草が可愛く、思わず頬が緩む。 ようやく自分が落ち着いてきた事を自覚し始める。 ここに入った時に流緒が言っていた事――お前の判断で最良だと思える行動を取れ。だから、言われたとおりに取ってやる。 「まずは情報の整理ね」 彼女は自分の鞄からメモと筆箱を取りだす。 そして筆箱を開けた瞬間、中からペンが一本、美斗に向かって飛びだしてきた。 「いっ!」 自分でも避けれたのは奇跡に近い。 頬を掠めたペンを目で追う。ペンはそのまま飛んで…… 「行かずに戻ってくるしっ!」 ペンは空中で綺麗にUターンしてくると、再び美斗に向かってくる。 思わず身構えたが、それは彼女に届く前にレオが叩き落とした。 「あ、ありがと」 ペンは先から地面に突き刺さり微か震えている。まるで先ほどの鉄パイプのようである。 「……鉄……パイプ……鉄……てつ……もしかして!」 突然、閃き豆電球が美斗の頭の上に点灯。彼女はすぐに筆箱を開く。今、床に刺さっているペンだけがこの入れ物の中の唯一の金属製。 「やっぱり!」 これで、納得はいかないが状況は分かった。信じられないが、目の前に現象が、起きた事は軒並み事実である。 「あとは……原因!」 美斗はすぐにメモを開き、先ほどの聞き込みの情報を探し出す。 誰が何をしたのか、よりも、どうしてこうなったかの方が今は大事である。 何か分かれば、先輩に教えることが出来る。 正直、彼までが自分と同じ状況になるのは避けたかった。もし、なった場合に二人が近づいたらどうなるか――想像こそはできないが、少なくとも良い状態になるはずがない事は考えられる。 最初に入って来た時はなんともなかった。つまり突然、現状が作られた事になる。もし好きなタイミングでこの状況を作れるとしたら、もう少しマシなタイミングがあったはずである。自分達を狙っていると言うのであるのならなおさらだ。 本当にそんな事が出来るかどうかは分からない。だが、自分の物差しでは計りきれない事は容易に理解できる。先輩がソウルオーバーと呼ぶ――自分も持つこの超能力は。 だから、変な先入観は持たず、考える。 ただ、ルールはあるはずだ。万能なはずがない。美斗自身のサイコメトリーも体力を消耗するし、右手でしか使えないという制約がある。ならば、この状況を作り出した能力者だてなんらかのルールを持っているはずである。 現状、一番考えやすい事。それは…… 「発動条件……ね」 先輩はなんともなく、自分だけ能力の対象になっている。 対象は一人だけで、任意に発動できる――という案は却下だ。理由は先に考えた通りだろう。任意ならいくらでもチャンスを狙える。 だから、何かスイッチみたいなものがあるはずである。彼が触れず、自分が触れたスイッチのようなものが……。 「はぁ」 一息つく。ひたすら思考するというのもなかなかに疲れる作業である。 それにしても、と少し思考がずれる。 たかがペット探しのはずがとんでもなく危険な事に発展してきた。 だが、 「誰が、何の為にこんな状況を作り出してるかは分からないけれど……」 少なくとも美斗は、 「私に挑戦してきたこと……」 この危険な状況に悲観することなく、 「後悔させてあげるから」 笑みすら浮かべてつぶやいた。 3 / Recruit-MagnetRoom (The Second half) 〜 To Be Continued |