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とらいあんぐるセッションズ


束の間のバラード
#1 ESAKA




「ちっ!」
 深夜の閑静な住宅街を駆けながら、青年は舌打ちをした。
 年の頃は二十歳前後の青年である。服装は黒地のシャツに白いジャンバー、濃い色のジーンズと特に目立つ格好ではない。だが、汚れ方が尋常ではなかった。まるで何日も野宿をしていたかのようだ。
 いや、ようだ――ではなく事実、野宿をしていたのだろう。夜も遅く、街灯が少ないためわかりづらいが、彼のコトを黒ずくめの男たちが追いかけてきている。
 いつから追われているかは知れないが、青年が逃げなれている所を見ると、かなり長い間追われていることが予想できる。
「しつけぇんだよ!」
 路地から現れた男の顔に間髪入れず拳を叩き込む。
「ごぇ!」
 男はたまらず、奇妙なうめき声を上げて倒れる。
 青年は男が完全に倒れきる前に、その横を通りぬけ路地へと向かう。
 瞬間――
「……っ!」
 青年は大きく飛び退いた。
 今しがた入ろうとした路地から、黒服の男が二人、拳銃を向けながら現れたのだ。ご丁寧にも、しっかりと消音装置が付けられている。  青年が飛び退いたのは、男達のどちらかが発砲したためだろう。
「さぁ、もう逃げられんぞ」
「はっ! まさか、そんな映画みたいなセリフを映画みたいな状況下で聞けるとはな」
 男のセリフを鼻で笑うが、背後からも近付いてくる気配に青年は焦っていた。
「それは余裕が生む言葉か? それとも焦りが生む強がりか?」
 男達が一歩踏み込んでくる。
 青年は一歩も動かず、
(さて――どう乗りきる――?)
 全神経を集中し、それだけを考えていた。


     ※


 深夜――高町恭也は起きるなり、身支度を始めた。
 飛針。鋼線。大小様々な刃物。そして小太刀を二振り。
 それら愛用の武器を素早く身につけて部屋を出る。
 部屋を出ると同じようにフル装備の妹――美由紀が丁度、部屋から出てきたところだった。普段はかけている眼鏡をはずしているところを見ると、本気のようだ。
「恭ちゃん」
「ああ」
 美由紀が言わんとする所を理解し、恭也はうなずく。
 そして、二人は音も立てずに玄関までやってくると、
「母さん」
「美沙斗さん」
「恭也、美由紀……やはり気付いたか」
 この家に泊まっている美由紀の生みの親――美沙斗がいた。どうやら恭也達と同じく家を出ようとしていたようだ。
「はい。コレだけ騒がしいとさすがに気付きます」
 美沙斗の言葉に、恭也はそううなずくが、実際――騒音らしい騒音はない。だが、この場にいる三人にとっては騒音でしかない何か感じ取ったのだ。
「行こう。深夜とはいえ、人が通らないとも限らない」
「はい」
「うん」
 恭也と美由紀はうなずき、美沙斗と共に家を出る。
「人――かなり、いるみたいだね」
 家を出るなり美由紀が小声で言う。
「ああ。それも、明らかに通行人じゃないような連中がな」
 恭也は周囲の気配を探りながら答える。
「どうするの?」
「わたしはこちらから回る。恭也と美由紀はそちらから。どう言う状況か分からない。油断、しないように」
「はい。わかってます」
「うん。大丈夫だよ」
 美由紀の言葉を最後に、合図もなしに三人は行動を開始した。


     ※


(こんな時間に外に出る馬鹿がいるかっ!)
 青年は胸中で毒づいた。
 気配が増えた。それも、三人。明らかに民家から外に出てきている。
 そして、気配は自分を狙っている組織の連中がたむろしているこの場所へ向かってきているのだ。
(二手に分かれた?)
「どうした? 顔が翳ってきたぞ?」
 目の前にいる連中は、荒事に関してはプロかもしれないが、いざ戦闘となるとさほど強いわけではない。
 もちろん、青年からしてみればの話で、そのへんのチンピラ程度では太刀打ちできないだろう。
 訓練もそこそこにしているようだが、優れた武術家が身に付けるという気配を捕らえる能力は持ち合わせていないようである。ゆえに、突然増えた三つの気配に気がついてはいないようだ。
(周囲の気配が減っていく? ……今、出てきた連中がやったのか? ……かなりデキるな……)
 ――だとしたらチャンスだ。
「へっ!」
「どうした? あまりの状況下に気でも触れたか?」
「違ぇよ」
 背後から迫る男達の仲間の気配を感じながら、青年は地を蹴った。
「なにっ!?」
 正面から拳銃を向けていた二人は、まるで青年が消え失せたかのように見えたのだろう。
 実際は青年が姿勢を低くして駆け出しただけである。そのことに男達はすぐに気が付いたが、その一瞬の動揺が致命的であった。
「ふっ!」
 鋭い呼気とともに、青年の放ったフックが片方の鳩尾へと吸い込まれるように入る。
「ぐっ!」
「こいつっ!」
 もう一人の男は、仲間がやられたのを見て、素早く、青年へと拳銃を向けた。
 だが――
「遅ェ!」
 青年は向けられた拳銃を蹴り飛ばすと、滑る様に相手の懐に潜り込み右のボディブローを繰り出す。
「――げぇっ!」
 二人が動けなくなったのを確認すると、青年は背後から迫ってくる男達の方へと駆け出した。
 青年からしてみると、男達が前後の連中だけならば簡単に逃げ出すことが出来たのだが、今回の場合――さらにその周囲を囲むように男達がいたのを気配で感じていた。多すぎて、何人だか特定することが出来なかったが、それだけで逃げるには難しい人数であることは知れた。
 だが、その多数いる男達も、突然現れた三つの気配によって数を減らされている。
 気配の主が誰かは知れないがこれを好機と見て青年は行動を開始したのである。
 瞬く間にやってきた四人の男達を叩き伏せた青年は、三つの気配のうち、一人だけで動いている気配の方へと向かう。
 もうすでに男達の気配は僅かにしか残っていない。死んだかどうかは不明だが、別に青年にしてみれば、動けなくなっているのならどちらでも構わない。
 残っている男達も、もう片方の二人組に近いうちに倒されるだろう。だとしたら、男達に構わず気配の正体を少しでも早いうちに確かめるほうが得策だ。そう考えて、青年は一人でこちらへと向かってくる存在の方へと向かったのである。
 そして――
「君だな? こいつらに狙われていたのは」
 現れたのは一人の女性。年の頃は二十後半あるいは三十前半といったところか。暗がりで見ても美人だと思える女性だが、その両手に携える小太刀と、その歩き方から只者ではないことが明白だった。
「ナニモンだ……テメェ?」
「そう警戒するな。少なくともこの男達の仲間ではないよ」
「だろうな。だが、警戒するなと言われて――ハイそーですかと、言えるような生活を最近はしてないんでね」
「知っている。一応、わたしの所にも資料と命令が来ているからね」
「命令――だと?」
 ますます青年は警戒を強める。
「ああ。草薙京くんだね? わたしには君の保護命令が来ているんだ」
「どういうことだ?」
「事情は後で話すさ。この連中に聞かれると厄介だからね」
 女性がそう苦笑したとき、
「どうやら、そっちも問題ないみたいですね」
「その人は?」
 京の背後から、残り2つの気配の主がやってきた。
 京とは歳がそう変わらないであろう青年とそれよりいくらかは下の少女だ。女性と同じく、彼らも小太刀を二振り手にしている。同じ流派なのだろう。
「二人とも、話はあとにしよう。とにかく、彼を連れてここから離る」
「わかりました」
「はい」
「君も、とりあえずこいつらから離れたいだろう?」
(どうやら、本当に奴らの仲間じゃないみたいだな)
「ああ」
 京は若干彼女等に対する警戒を緩めると、三人の後について走り出した。


 高町の家からやや離れた場所に位置する神社。そこの境内の前に四人はいた。
 すでに空は白身を帯び始め、街がゆっくりと目を覚まし始める時間だ。
 あのあと、この場所へとやってきて、全員で軽い自己紹介を終えたところである。
「それで……美沙斗……だったっけか? どこの命令で俺を保護するんだ?」
 境内の階段に腰掛けながら、京は美沙斗に尋ねる。
「香港警防だ」
「香港警防?」
 首を傾げる京に、
「ああ。香港国際警防隊――簡単に言うと合法ギリギリの武装組織さ。主に、民間警察では扱えないような事件を追っている」
 そう答えると、彼は納得したようにうなずいた。
「なるほどな。それで、俺を保護したあとどうするつもりだ?」
「上に引き渡すことになっている」
「そんなことだろうと思ったぜ――だが、俺はそいつらに引き渡される気はねぇぞ」
「わたしも引き渡すつもりはないな」
 その言葉に京は訝しむように眉をひそめる。
「俺が言うのもなんだが、それって命令違反じゃねぇのか?」
「元々追われていた立場の人間から言わせてもらえば――同じ所に長期に渡って留まるのはあまり得策とは言えない。
 それに、様々な犯罪組織が寄り集まっているような香港はお世辞にも安全とは言えない。
 ましてや、君を追いかけている組織――ネスツとかいったか――はかなり大規模な組織みたいだからな。息のかかっている組織や人間がいれば、香港警防に保護されていたとしても危険度が増すだけだろう。
 安全面から言えば、今のように逃亡生活を続けていたほうがずっと安全だ」
「……それで? 俺をどうするつもりなんだ?」
 訊ねると、美沙斗は微笑んだ。
「ここ数日まともに物を食べていないのだろう? それに夜もろくに寝てないようだ。だから、一週間ほど安全に休める場所を提供する。その後の足もわたしが用意しておこう。もちろん、嫌なら構わないがどうする?」
 その言い方で、恭也には美沙斗が言わんとしていることがだいたいわかった。
 もっとも、そのことは、恭也も考えていたことではある。
「そいつはありがてぇが……本当に安全なんだな?」
「言っただろう? 今でこそ追う側になってはいるが、わたしも元は追われる人間だったんだ。一応、そう言う意味では君の先輩だ。保証はする」
 京からしてみれば願ったり叶ったりの申し出である。
 少し話をしてみて分かったが、この場にいる三人は信頼に値する人間だ。そして――美沙斗が言ったことは全て事実なのだろう。
「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうぜ」
 少し考えてから、京がそう答えると、
「ああ」
 美沙斗は微笑を浮べうなずいた。
 それから恭也の方へと向き直った。
「恭也、美由紀――すまないんだが……」
 何か言いかけた美沙斗を恭也は制して、
「俺もそれを考えていました。一週間っていう期間も妥当ですし、かーさんも二つ返事でOKするでしょう。問題はないですよ」
「すまないな、恭也」
「いえ、別に謝る必要はないですよ」
 そんなやりとりを京はもとより、美由紀も意味が分からないまま聞いていた。
「あ、あのぅ……恭ちゃんと母さん……なに考えてるの?」
 申し訳なさそうに訊いてくる美由紀に美沙斗は苦笑を浮べる。
「そのうち分かるよ」
 そう答えると、美沙斗は再び恭也に視線を戻す。
「恭也、いつ動くつもりだい?」
 訊かれて、恭也はポケットから携帯電話を取り出して、時間を確認する。
「そろそろ伝令係が来る頃ですから、彼女から様子を聞きましょう。それから動いても問題ないですよね」
「伝令係?」
 訝しんでいる美沙斗に、
「ほら、来ましたよ」  恭也は階段を示した。
 階段を駆け上がり、鳥居をくぐって現れたのは、高町家の家族の一人、城島晶だった。
「あ、なるほど。もう晶がロードワークをはじめる時間になってたんだ」
 晶を見て美由紀が納得する。
「あれ? 師匠に美由紀ちゃんに美沙斗さん……? なにやってるんですかこんな所で?」
 訊ねてから、晶は三人が武装していることに気付き、真剣な表情になった。
「なんか……あったんですか?」
 恭也は一つうなずいてから、
「晶――近所に怪しい連中がうろついてはいなかったか?」
 そう訊ねた。
 晶は少し思案してから答える。
「いました」
「どんなやつだ?」
「えっと……真剣を携えた三人組です」
「どこにいた?」
「俺の目の前です」
「………………………………」
 恭也はしばらく周囲を見まわしてから、
「あー………つまり、俺達以外には怪しい奴は見てないんだな?」
「そうですね。特には」
 うなずく晶を見て、美沙斗は境内で座りながらウトウトとしていた京に声をかける。
「草薙くん。起きてくれ。そろそろその場所へ案内するよ」
 ゆっくりと目を開けた京は軽く伸びをして、
「待ちくたびれたぜ。それじゃあ、よろしく頼むわ」
 欠伸混じりにそう言った。
「安心したとたん寝るとはね……随分と信用してくれているんだな」
 感心したような呆れたような、どっちとも言える口調で言う美沙斗に、
「そっちが信用しろと言ってきたんだ。裏切るんじゃねぞ」
 京はそう言って小さく笑った。


     ※


「ふぃ〜……」
 やや熱つめの風呂に浸かりながら、京は安堵する。
 自分の家ではないものの、こうやって風呂に入ると安心できるのは日本人だけの特権のような気がしてならない。
「替えの洋服とタオル、ここに置いときますね」
 やや関東とは違うイントネーションをした少女の声がドア越しに聞えくる。
 紹介された名前は……確かレンだ。フルネームはもっと長く、ややこしかった気もするが、イマイチ憶えていない。
「ああ。悪ィな」
「それと、ここに置いてある服とグローブは洗濯してもええですか?」
「してくれるってぇなら、頼む」
「それじゃあ、借りていきますね」
「ああ」
 うなずき、風呂場から離れていく気配を感じながら苦笑した。
 安全で、かつ見つかり辛い場所――その段階で廃屋や廃倉庫など薄汚い場所を覚悟していたのだが、まさかこんな普通の民家だとは予想もしていなかった。
 しかも、ネスツの下っ端戦闘員と戦闘を繰り広げた場所のすぐ近くだ。正直、不安もある。
 だが、美沙斗と恭也の話によれば――長ったらしい戦略説明があったのだが、面倒くさくて聞き流した――ここは、見つかりにくい条件を満たしている場所らしい。
 その言葉だけで安心するには多少、心許なかったのだが、二人は明らかに場馴れしていた。
 京もケンカや格闘に慣れ、神話クラスの化け物と対峙したこともある。だが、それらは広い眼で見ると格闘の域を出ないものだった。だが、あの二人――いや、美由紀を入れて三人か――は、明らかに戦闘慣れしていた。格闘とは違う、一対多数の生き残るための純粋な争い。そういった場に慣れているのだ。
 つまり彼女らは、自分のようなルールのある舞台で戦う格闘家ではなく、傭兵のようなルール無用の戦場で戦う戦争屋に近いタイプの人間のようである。
 そのことから、あえて京はその判断に任した。
 それに、この家は高い塀に囲まれているし、ここで暮している七人のうち、五人はかなり腕が立つと、京は見ている。
 美沙斗、恭也、美由紀はもちろんズバ抜けているのだが、晶とかいう男みたいな少女は、同じ歳の空手家よりも頭二つ分ぐらいは上の実力が有りそうだし、先ほどのレンも見た目からは判断しづらいが、普段の動きから実力者であることが知れた。
 つまるところ、この家には京を守るボディーガードが必然的に五人いることになる。
「確かに……攻略も難しければ、俺に近付くのも難しい城ではあるわな」
 苦笑したまま両手でお湯をすくって顔を洗う。
「ふぅ〜……」
 湯気で半分翳った天井を見上げ、
「とりあえずは、まぁ、ご好意に甘えさせてもらうとしますか」
 そうつぶやいてから、京は風呂から上がった。


     ※


「襲われた場所に戻ってくるヤツでもないか」
 高町家のすぐ側を歩いていた男はそうつぶやいた。
 どこにでもいそうな平凡なスーツ姿のサラリーマンである。別に街ですれ違っても何も感じることのない男だ。
 男は高町家を玄関とはまったく正反対に位置するこの場所からしばらく見上げていたが、
「まさか、人様の家にやっかいになっていると言うコトは……ないか」
 肩を竦めると歩き出した――いや、歩き出しかけた。
「あんまりいい趣味とは言えないね」
 足を止めたのは、背後からそう声をかけられたからだ。
 ゆっくりと男は振りかえる。
「なんのコトですか?」
 人のいい笑みを浮べて、男は声をかけてきた人物を見た。
 銀髪のどこか中性的な雰囲気を持つ外人女性。それ以外には、煙草を吸っていると言うコトとピアスをしているということだけで、変わったところはない。
「一応、警告しておくよ。
 お前が眺めていたこの家は代々ボディーガードで生計を立てている家だ。
君のようなやつがウロウロしていると、家の者がやってきて容赦なく斬りかかって来るぞ」
ただ単に、本当に警告をしただけなのだろう。女はそれ以上何も言わない。
「警告――ありがとうございます。これから仕事なんで、もう失礼しますね」
 男は頭を下げると、踵を返し歩き始めた。
 その背中に、
「それともう一つ。
 変装をするなら、今度からはもう少しうまくやるといい。見える人間から見れば、バレバレの変装なんてこの界隈では無意味だよ。
 本当に――本当に無意味に強い輩が集まる街だからね、ここは」
 女は投げやりに言った。
 男は足を止めると、振り向きもせずに告げる。
「俺からも警告をしておこう。自分の実力を過信して首を突っ込むと次からはケガをすることになるぞ」
「なるほど。今後の人生に役立たせてもらうことにするよ」
 女はそのまま男の背中を見送り、その姿が見えなくなってから、
「さて――出てきなよボディーガードさん」
 振りかえる。
「リスティさん……どこの家が代々ボディーガードで生計を立ててきた家なんですか?」
 いつからそこにいたのか、物陰から現れた恭也が肩を竦めるようにリスティに尋ねた。
「君の父親から、親子二代でボディーガードの仕事をしているんだ。
 充分、代々と言えるだろ?」
 彼女はしゃあしゃあとそう言うと、短くなったタバコを携帯灰皿に入れてから、新たなタバコに火をつけた。
「それより、こっちは休日の早朝に呼び出されてちょっと気分が悪いんだけどね」
「お詫びと言ってはなんですけど、朝食ぐらいならうちでご馳走しますよ」
「ま、それで許してやろう。
 話は食べながら聞かせてもらうよ」
 彼女――リスティ・槙原は微笑を浮べながら紫煙を吐いた。


〜NEXT〜







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