#5
フィリス・矢沢様 今晩シンドバッドが狙う『姉妹』の美しさ 私も頂きに参ります。 怪盗リトル・ジャンヌ 伝説の二怪盗! 二十年ぶりに復活! 新聞の一面にデカデカと描かれた無責任な見出しを見ながら俺はイライラとコーヒーを啜る。 どういう事だ? 俺が仕事をするなら問題ないんじゃなかったのか? リル様もそれで問題ないって言ったハズだ。 「くそ……」 毒づいて飲み干したコーヒーカップを乱暴にテーブルに置く。 「心時さん。そんな乱暴にカップを置くと割れちゃいますよ」 「あ、とうさん。お帰り」 「はい。ただいま。なんだか機嫌悪いみたいだけど、どうかしたの?」 ネクタイを解きながら心配そうに聞いてくる。 「あー……いやー……」 俺が盗もうと思ってた絵をジャンヌを騙る――どう考えても魚月だろうけど――輩が突然横から出てきて邪魔しようとしてるんです……なんてまぁ、答えられないようなぁ。 「あ。もしかして都さんが遅くて、ご飯が食べられないから?」 なんて答えようかと逡巡していると、とうさんがそんな事を言ってくる。 いやいや――さすがにその程度で俺はここまで荒れませんよおとーさん。 ……っていうか、 「かあさん遅いの?」 「あれ? 心時さんは聞いてないの? ほら、ジャンヌとシンドバッドが復活したって騒ぎになってるじゃない? だから、昔二人を追いかけていた僕と都さんは、警察から参考にしたいから当時の事を教えてくれてって頼まれててね」 「ああ、なるー……」 納得して、俺は天井を仰ぐ。 …………って、おい。ちょっとおかしいぞ。 「じゃあとうさんは何で普通に帰ってきてるの?」 「だってホラ。僕は普通に仕事があるでしょう?」 「そりゃごもっとも」 ようやく納得。 確かにサラリーマンは休めないよな。それにかあさんが言ってるのにわざわざ行く必要がない……っていうのがとうさんの弁。 まぁ、かあさんは今時珍しい専業主婦だし、そういう事に関わるのはワリと向いてるのかもなぁ。 昔から――それこそ、高校時代からあの人は正義の人ではあったワケだし。 「正義の人……」 自分で思い浮かべた言葉が引っかかり、わざわざ小さく口に出す。 「心時さん?」 「あーいや、何でもない」 ゼンには魚月に事情を話すなと言い包めてあるけど、何らかの理由で魚月が悪魔の事を知ったらどう思うんだろう……。 本人は意識してないだろうけど、時々天界やかつてのまろん達を匂わせる言動が口から出てきていた。 それに、まろんから受け継いだ高潔な魂。 ……何より、あの性格ではNOなんて言う気がしない。 なら、やっぱり―― 「誰かから事情を聞いた?」 それが一番しっくりくる。 その上で、改めてゼンに力を求めた……ってところか。 じゃあ、ゼンの奴――俺との契約はどうすんだ? …………考えてても仕方がねぇか。 時計を見るともういい時間だ。 「さてと」 夜の帳は落ちた。 そろそろ仕事の時間だ。 聖気は予めロザリオに籠めてあるからゼンがそばにいる必要はない。 「あ、心時さん。夕飯作ってくれるの?」 立ち上がった俺に、とうさんが期待に満ちた眼差しを向けてくる。 「あー……いやー……」 出かける――そう言い掛けて、俺は頭を抱えた。 まぁ確かに、疲れて帰ってきたとうさんに、腹減ってるなら自分で作れって言うのも気が引けるしな……。 「うー……」 「むっすこの手料理♪ むっすっこの手料理♪」 何よりやばい事にすっかりその気になっている。 「仕方ない……期待すんなよ?」 フィリス先生に警察の方々――そしてジャンヌ。 ほんと、悪いんだけど、怪盗シンドバッド。少し約束に遅刻します。 ☆ 「遅い……本当に来るんでしょうね?」 「確かに――シンドバッドはこの時間だって言ってたんだけどなぁ」 ゼンの力を借りて素敵に無敵になったこの魚月ちゃんの勇姿をせっかく見せてやろうと思ってるのに! 「もういっその事、先に始めちゃう?」 そもそも雫さんが勝負するようにと言って来たので待ち伏せして宣戦布告してやろうと思っただけで、別に私自身はどーでもいい。 ただ、 「あの人――雫って言ったけ? あの子の言う事は一応聞いといた方がいいと思うぜ」 この黒天使ゼンとやらが、渋っているので仕方がない。 私は怪盗初日。独断で動いて捕まったりしたらバカらしいしね。 それにしたって…… 「遅いわよねぇ」 「まぁな……」 二人そろって嘆息しながら、私が思うのは昨日の夕方の事―― 選択肢はあった。知らないと通すか、関わるか。 そして私は……関わる事を選んだ。 事情とか背景とか、そんなのはどうでも良くって……ただ、自分の住んでいる街やその周辺で普通の人がどうにも出来ない事件が起きてて、私にそれを解決する力があった。 だから――ほとんど二つ返事で引き受けたんだ。 それに、シンドバッド……その正体が誰だかは知らないけれど、とにかく他人に全て任せるのは、この魚月ちゃんのしょうに合わない! まぁ……それに―― ・ ・ ・ 躊躇いが、ないと言えば嘘になるけど、それでも私は覚悟を決めて玄関のドアを開いた。 「あれ?」 てっきり玄関を開ければ居ると思っていた雫さんは、だけどそこにはいなくて私はキョロキョロと周囲を見渡す。 「あ」 居た。 階段を昇っていくところが、チラっとだけ見えて私は慌てて追いかける。 そして私は階段を昇りきり、周囲を見渡す。すると雫さんがまた階段を昇っていくところが目に入った。 「あ、あれー?」 距離が縮んでいませんのですが。 首を傾げつつも、私は再び彼女を追って走り出す。 そして、再び階段を昇りきると、やっぱり彼女は次の階段に足を掛けていた。 なんで!? なんで!? 明らかに雫さんは歩いて登ってるのに、なんで走ってる私が追いつけないのっ!? もしかして雫さんも見えないところで走ってる? いや、でも……それにしては息が上がってるように見えないし……。 そんな感じで私がどうでもいい事に悩んでいると、 「ああっ……いない!」 雫さんの姿が見えなくなっていた。 「し、しまった……」 とにかく、上に昇っていったんだから、私ももう一回階段を昇ればいいのよね? ――で、昇ったけれど…… 「まいったわねー……」 今回は雫さんの姿はなかった。 私は少し考えて、 「ここの二つ上は屋上……か」 根拠はなかったけれど、雫さんがそこにいる確信みたいなのはある。 「よしっ!」 一つ気合いを入れると、私は屋上目指して階段を一気に駆け上がった。 そうして、辿り着いた屋上へ出るためのドア。 そのドアノブに……私は手を伸ばせないでいた。 今更躊躇うな魚月ッ! 話を聞くと自分で決めたッ! なら覚悟を決めろッ! 自分を叱咤して私は大きく深呼吸。 「……うん」 ゆっくりとドアを開き、 「…………ッ!」 私は思わず息をのんだ。 …………空気が違う。 誰も居ない屋上の真ん中で、ただ独りだけが圧倒的なまでの存在感を持ってそこに在る。 彼女は目を瞑ってただ自然体で立っているだけだっていうのに、私の中にある何かが自分と相容れないものだって警告してくるみたい。 そして本能的に、ここがギリギリ間合いの外だと私は悟っていた。 あと一センチでも前に出れば、凶刃が私を切り伏せてしまいそう。 玄関でも、屋上のドアでもない。きっとここが境界線。踏み込めば母さん達が隠している何かの関係者。ここで引き返せば、今まで通り。 ……でもッ! だけどそれでも――私だけ蚊帳の外なんて嫌だから。 だから――この場から一歩踏み出した。 瞬間、 「え?」 雫さんの姿がフッと消える。 直後、私の目の前に体勢を低くした雫さんが現れた。すでに向こうは臨戦態勢――どころか、攻撃に移ってきている。 左手による低い姿勢からのアッパーカット気味の手刀。 正直、目では追えたけど速度とキレからどうやろうが防ぐ事も躱す事も出来ないと、思った。 なのに、私の体は勝手に動いた。 突き出された手刀に左手を出す。手刀が左腕を掠めると同時にベクトルをずらして受け流しつつ、衝撃の方向にあわせて身体をひねると、ガラ空きになった雫さんの脇腹に目掛けて手刀を出し返す。 だけど、どうやったのか、雫さんは再び姿を消し私の手刀は宙を薙ぐ。 ――っていうか、私スゴっ! 何で動けたの今? 「寸止めするつもりだったんだけど……まさか、反撃をもらうとは思わなかったわ」 そう言って肩を竦めた雫さんからは、さっきの張り詰めた空気は微塵も感じなくなっていた。 「とりあえず、びっくりさせてごめんね。 ちょっと精神統一したかったんだけど、ちょうどそこに名古屋さんが入ってきたから……つい」 あのー……ついで攻撃しますか、普通? 「あ、いえ――それは構わないんですけど……」 「そう? ありがとう」 にっこりと雫さんは笑う。 うわあああ、もう! 反則よこの人。 美人で強くて、そのクセ笑うと可愛いとかどこの完璧超人よ! きっと成績も優秀で、授業中とかも私と違って居眠り知らずに違いないわっ。 初めて会った時に欠伸をしてたのは、単純に身体の調子が悪くて、早く家に帰って寝たかったからに違いないっ! 「それで……名古屋さん。私に何か用?」 内心で無駄に興奮している私に、雫さんが尋ねてくる。 そりゃあ、もちろん訊きたい事があったからに決まってます。 「雫さんって、付き合ってる人います?」 「カレシって何? それ食べ物? おいしい?」 遠い目をしながらの即答。要するに彼氏ナシ。 ……っていうか、何でこの人がフリーなの? 私が男なら即座に落としにかかるわよ? 「何でそんな質問を……って、まさか名古屋さん、そっちのケが!?」 「違います!」 そこは全力で否定させてもらう。 「それに、彼氏ウンヌンっていうのは冗談ですし」 「でしょうね。本題はさっきみんなで話をしていた事件の事でしょ?」 う……見抜かれてる。 まぁ、バレてるのなら仕方がないので私は素直にうなずいた。 「一応警告しとくけど、事件に関わるとさっきのやり取りのような事が寸止めなしで飛び交うこともあるわよ?」 口調以上に、雫さんの目がそれが本当なのだと告げている。 だけど、 「それでも、私も関係者なんですよね? 心時が連れて行ったあの黒天使とか……私に危険がないようにってみんな思ってくれてるのかもしれないけど……関係しているのに蚊帳の外っていうのは、なんというか――すごく、嫌だから……」 「ダメって言っても関わってきそうな勢いね」 肩を竦め、雫さんが苦笑する。 「ところどころ、あなたが考えた事もないようなファンタジーが混ざるけど、リアルな話だから馬鹿にしないように。 あと又聞きとか、私がやっつけで調べた情報がいくつか混ざってるから事実と違うかもしれないけど気にしないでね?」 気にするなとか言われても…… 「なんか不満そうね……まぁ、本当に詳細が知りたいなら自力で調べるのが一番よ?」 そう前置きして、雫さんが始めた話は本当に――信じられないようなファンタジーが混ざっていた。 二十余年前にあった、神様と魔王様の戦い。その代理人が当時世間を騒がしていた怪盗二人……即ちジャンヌとシンドバッド。 いや、あの――もう……それだけで信じられないんですけどっ! 「神様とか魔王様とか。 聖なる力とか闇の力とか……ドコノRPGデスカ?」 思わず聞き返す私に、雫さんは少しきょとんとしてから、 「世の中結構あるわよ。そういうの」 あっけらかんとそう言い放ってくれました。 「私の周囲には吸血鬼にクォーターフルフ、メカメイド。超能力者に幽霊に元暗殺者に、元魔法少女……えーっと、それから……そうそう忍者に退魔師、妖狐に猫叉なんかもいるわね」 あと、歌姫と異世界人も、と付け加える雫さん。 「雫さんの自宅って、本当に二十一世紀も折り返しに差し掛かった地球内に存在してます?」 「失敬な」 遠い目をして訊く私に、雫さんは不満そうに口を尖らせるけど、正直どこまで信じていいのやら……。 「――でまぁ、話を戻すけど」 「あ、はい」 慌ててうなずく。 いけないいけない。思い切り話の腰を折っちゃったわ。 最終的にはジャンヌが魔王様を封印して戦いは終わったらしい。 だけど、魔王様の封印は、その前にあったジャンヌとシンドバッドの間の問題からうやむやのうちにアレよアレよと進んでしまった事で、魔王様が地上に放った悪魔を全て封印したワケじゃないらしい。 で、それから二十年程経った今になって、その残党たちが暴れてる……と。 「――っと、まぁ、事件前の予備知識としてはこんなものなんだけど、理解した?」 「ええまぁ……理解は。納得はイマイチですけど」 理解は出来るけど、理性が納得を拒否してるというか――そこまで非現実的なネタが、誰にも気づかれず存在するなんてありえるのかしらね? 「人間、見えなかったり気づかなかったりすれば、それはないのと同じなのよ」 私の考えてる事に気が付いたのか、そう雫さんが言う。どこか、皮肉げに。 「――で、さっきあなたのお母さん達としてた話になるんだけど……」 「はい」 魔王様の残党と戦えるのは、ジャンヌやシンドバッドだけ。でも今の二人に当時の力はない。 だから、その力を受け継いだ人を探しに神様の使い――ようするに天使が人間界にやってきてるらしい。 雫さんは知らないのかもしれないけど、きっとその使いっていうのは昨日出会った黒天使。 ……ん? つまり、私がその力を受け継いでるって事? 「でも、二代目ジャンヌ候補は、保護者の反対により否決。何で代わり二代目シンドバッドが就任したってワケらしいわ」 「いや、あの……保護者の反対って……」 「まろんさんと稚空さん」 即答されちゃいましたよ。 つまり、これで私がジャンヌとしての力を受け継いでる事が判明。やっぱりあの黒天使は私に用があったんだ。 ……途中で心時が攫っていったけど……。 いや、それにしても神様の依頼を断る保護者って……いや、そもそも何で母さん達はそのことを? ……ん? シンドバッドはあっさり決まったの? 「あれ? シンドバッドの保護者は反対しなかったの?」 「さぁ? ただ、二代目シンドバッドは先代二人と顔見知りだったらしいから、保護者通さずに二つ返事でOKでもしたんじゃないかしら?」 「えー」 それって不公平じゃない? 「あと、まろんさんと稚空さんって、先代二人の事に詳しいみたい」 詰まるトコそれって…… 「黒天使が来た段階で何をするか分かったから、天使が私を誘う前にダメ出ししたって事?」 「端的に言えばね――ただ、そういう考え方しか出来ないんだったら、やっぱりまろんさん達の判断は間違ってなかったと思うわよ?」 「は?」 「【何かを『守る』という事は、何かに『守られている』という事】。 これ、私の叔母さんの言葉ね。この意味が分からないようなら……あなたがこの件に首を突っ込むのは、私も心情的には反対よ」 感情的でもなく、だからといって叱責するような口調でもなく、ただ淡々と雫さんは私の参加に反対を口にする。 だけど、逆に変に強い口調で言われるよりも、その言葉は私の心にしこりを生んだ。 守るのに守られてる……? それに、心情的には反対――つまり、表立ってダメとは言わないけれど、あまり首を突っ込んで欲しくないって事。逆に言えばそれって…… 「シンドバッドは今日の夜十時に決行。 参加したければどっかにふらついてる天使でも捕まえること。 せっかくだから、二十年前の再来って事で、シンドバッドへの挑戦状代わりの予告状でも、絵の持ち主に送れば? ああ、あと――仕事前にシンドバッド辺りに宣戦布告して、ハデに暴れてもらえると私も仕事がしやすいから、それもお願いね」 ん? ん? ん? 雫さんってば、私が首を突っ込む事前提でしゃべってませんか? 「何その顔? 首を突っ込むんじゃないの?」 「あー……いえ、確かに関わらせてもらいますけど……」 なんて言うか、反対だって言ってる割りには、あっさりとOKが出てるって変な感じ。 「そんなところでいいかしら? 名古屋さんが聞きたい事って」 「えっと……はい。ありがとうございます」 むしろバッチリです。 気になる事は増えたけど、それ以前から気になってた事はある程度氷解したしね。 「じゃあ、そろそろリスティさん達のお話も終わるだろうから、私は行くわ」 「はい」 そう言いながら雫さんは私の横を抜けて行き、 「ああ、それと……」 屋上のドアに手を伸ばしかけ、振り向く。 「私はジャンヌやシンドバッドとは初対面なんで、そこンとこよろしく」 そう言うと、可愛いウィンク一つ投げてきて、屋上のドアをくぐっていった。 ・ ・ ・ その後、私はゼンを見つけて、事情を話して今に至る……。 神様。神風。ジャンヌ。心。悪魔。信じる。見守る。ありがとう。まろん。アダム。イブ。魔王様。一緒に……。 雫さんの話に出てきた単語と、夢の中によく出てくる単語。 あまりにも共通するものが多すぎた。 それに……雫さんは、自分で調べたものや又聞きも含まれてると言ってたから、ちゃんと調べればきっと夢と現実が結びつく気がする。 きっと、この事件は夢の続きだ。 夢から続く現実の事件……そう考えると、あの夢はただの夢なんかじゃなくて、本当にあった過去の出来事なのかもしれない……。 何で私がそんな夢を見るのかは――まったく分からないのだけど…… 「ジャンヌ。シンドバッドがきたぜ」 「まったく、十時決行とか言ってたクセに、三十分も遅刻よ」 ゼンの言葉に、私は口を尖らせながら立ち上がる。 まぁ、深く考えてもしょうがないし、 「さてと、まずは宣戦布告よね」 不安がないと言えば嘘になるけど、不思議とワクワク感やドキドキ感のような感情の方が強い。 映画館でこれから始まる映画を待つ時のような期待感…… もしかしたら、ルパンとか泥棒をやってるのは、こういう一種のスリルにハマってるのかもしれない…… ああ、だとしたら私もハマりそうで危ないなぁ…… そんな不思議な高揚感を覚えながら、私は宵闇の中へと飛び込んだ。 さぁ―― 「ゲーム……スタート!」 |