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夕幻の花

マチビトが魅せた舞台(前編)



「だいぶ寒くなってきたわね……」
 年の頃は十七、八。眼鏡をかけ、髪を肩口で切り揃えている少女が、わずかに身体を振るわせながらつぶやいた。
 つぶやきによって吐かれた息が真っ白になるほど冷え込んだ秋の夜。
 そんなシンとした夜気をかき分けながら彼女――(ひいらぎ)遊華(ゆうか)は、右手にコンビニの袋を持ちながらゆっくりと歩いていた。
 本当なら、こんな寒い夜に家を出たくなかった。
 だが、遊華が世話になっている下宿先の主人は寝る前に必ず紅茶を飲むという習慣がある。それをいつも淹れているのは遊華である。
今日もいつものように彼に紅茶を入れようとしたのだが、あいにくと茶葉が切れているのに気がついたのだ。さらに、明日の朝食の材料もないことにも気が付き、やむなくこの寒空の下、コンビニへ行く決意をしたのである。
 とはいえ、コンビニまでは最短で十分弱。お風呂に入り、せっかく暖まった身体も、乾ききっていなかった艶やかな黒髪も帰り道にはすっかり冷えきってしまった。
「う〜ん……戻ったらお風呂に入りなおそうかなー……」
 独りごちながら、彼女は道を進み、公園へと入っていく。  結構大きな敷地を持つこの伏見川 (ふしみがわ)公園は中を横切ることで結構な近道になる。ここを通らずにコンビニまで行こうとすると、この公園の外周をずっと沿うことになり、七、八分は余計に時間がかかるのだ。
 伏見川公園はコンクリート張りの部分と、土の部分の二つに分かれ、前者は噴水広場と呼ばれ、名前通り広場の中央に小さな噴水があり、主にストリートパフォーマー達の練習に使われている部分。後者は児童広場と呼ばれ、アスレチックや滑り台等の遊具があるので子供達が使っている。
 遊華は児童広場を横切り、噴水広場に続く六段程度の階段を昇った。
 昇りきってすぐ、噴水の前で何やら激しく動いている人影が目に入った。
 行くときには見なかった――ということは買い物をしていた数分のうちにここに来たのだろう。
 気が付くと、人影が影ではなく人間と視認できる程度まで、遊華は近付いていた。
 どうやらダンスの練習をしているようだ。
 遊華はダンスや踊りの類にはまったくといっていいほど縁がなく無知なのだが、テレビなどで何度か見たことのあるその動きから――確か――ブレイクダンスとかストリートダンスなどと呼ばれているものだといういことぐらいは理解できた。
 踊っているのは、歳が自分とそう変わらないであろう少女。
 気が付くと、遊華はそのダンスに見入っていた。
 息を弾ませ、自分には到底出来ないであろう動きを、技を、彼女は難なくやって見せている。ただ、その激しさの中に、どこか儚げで哀しげなモノが混じっている気がするのだが……
「すごい……」
 頭を軸に駒のように回転する技を見て、遊華は思わず声を上げ、息を呑んだ。
 声が聞こえたのか、動きを止め、少女は立ち上がるとこちらに視線を向けた。
 ショートカットの髪に切れ長の目が印象的なかなりの美人だ。だが、その快活な雰囲気が『美人』を『かわいい』に変えている。
「いつから見てたの?」
 気が付かなかった――そんなニュアンスを漂わせながら、彼女は弾んだ息を整えずに訊いてきた。
「えっ、と……たぶん、割と最初の方からだと思います」
「……まったく気付かなかったわ」
 大きく息を吐き、肩を竦めながらそう言って彼女は噴水の縁に腰をかける。
「ねぇ――どうだった?」
 突然、猫を思わせるようなシニカルな笑顔でそう訊かれた。
 何が――と、言い返そうとして、遊華は踏みとどまる。決まっている。ダンスの事だ。
「すごいカッコよかったです。ただ――」
「ただ――?」
「どこか、哀しく儚げでもありました。まるで――そう、まるで、見てもらうはずの相手が居なくなったのに、それでも踊りつづけているような、そんな儚さ、哀しさが混じっている気がしました」
 そんな遊華の言葉に、彼女は驚いたように目を丸くした。
「え? あ? ご、ご……ごめんなさい。詳しくもないのに偉そうなこと言ってしまって……」
 その雰囲気に、遊華は相手の機嫌を損ねてしまったのではと、思わず謝る。
 が、
「なんであんたが謝る必要なんてあるのさ。そうやって、素直な感想を言ってくれて嬉しいんだから」
 どこか自嘲気味な笑顔で彼女は言った。
 だが、そんな暗い笑顔はすぐに消え、先ほど見せたあの笑顔にとって変わる。
「ねぇ――横、座らない? 時間があるなら少しあたしの話を聞いてほしいんだけどさ」
 遊華はうなずいて、彼女の横に腰をかける。
「あたし、(まゆずみ)(なぎさ)。今回限りの出会いかもしんないけどよろしくね」
「柊遊華です。こちらこそよろしくお願いしますね」
「あんた――ええっと、遊華って呼んでいい?」
「構いませんよ」
「遊華、アンタって本当、すごいね」
「え……あの、何が、ですか?」
「ダンスの感想。儚げで哀しいところがあったって言ったろ?
 その後の言葉も大正解。あたしはダンスを見てもらう相手を失ったのさ。
 でも、よく分かったね。なんで?」
「なんで――と言われても……」
 遊華はしばらく考えたが、結局分からず、
「なんとなく……としか……」
「いいって、いいって。変なこと訊いて悪かったね」
 申し訳なさそうに俯く遊華に、渚は苦笑する。
「あの――黛さん……?」
「なに?」
「あの――ダンスを見せたい相手って、彼氏ですか?」
 何となく気になっていて、遊華は訊ねた。
 ただ、言ってから『失礼なことを聞いてしまったかも』などと思ったのだが、言ってしまったものはしようがない。
「あはははは! 違う違う。母さんだよ。見せたい相手ってのは。
 あ! もしかして彼氏の方が、感動的?」
 てっきり、渚が不機嫌になると思っていたが、彼女が笑い出したため、遊華は驚いた。
「え、あの……すみません黛さん」
「だから謝らなくてもいいって。別に遊華が悪いことをした訳じゃないんだしさ。気になってたから訊いただけなんだろ?
 それと、『黛さん』ってやめて欲しいな。せめて『渚さん』にしてくれないかな?」
「はぁ」
 渚の勢いに乗れず遊華は曖昧に答える。
「市民ホールでさ、ダンスの大会があったのよ。母さんは前からあたしのダンスを見てみたいって、言ってたからさ――教えたんだ。大会があること」
「お母さん。喜んだでしょう?」
「そうりゃあ、もう――やっと渚のダンスが見れる――って、大ハシャギだった。
 それでね、家からホールまではバスに乗っていくのワケよ。参加者は一足早く会場に行かないと行けなかったから、母さんとは別々に会場に向かったんだけどね。
 そして、会場に向かっている途中バスが事故ったの。
 そのせいで、母さんにはダンスが見せられなくなったってワケ」
「あなたが死んでしまったから――ですね?」
 話しているうちに俯いてしまっていた渚が驚いて顔を上げる。
「思い出しました……乗客が全員亡くなった、半年前のバスの横転事故――
 そのバスに、あなたが乗っていたんですよね……ちがいますか?」
「驚いた……遊華って何でも見とおしなワケ?」
「お見通し、というか――知り合いの言葉を借りると、そういったことを感じ取ることに長けてるみたいなんです。
 くわしいことはわたし自身よく分からないんですけどね」
「ふ〜ん……じゃあ、あたしが幽霊だってことにも気付いてたんだ」
 遊華はうなずく。
「何時ごろ気がついたんだい?」
「あの……最初からです」
「そっか」
 渚は雲一つない夜空を見上げる。
 つられるように遊華も夜空を見上げる。
「この姿ってさ……遊華みたいにさ――霊感って言うの? ――そういうのが強くないとさ、見えないじゃない?」
 そこで一旦、渚は止めたが、遊華はなにも言わず、ただ――次の言葉を待つ。
 なぜか、口をはさんではいけない気がした。
「だからさ、あたしが死んでからすぐに、母さんに会いに行ったけど気付いてもらえなかった……。その時にさ、ようやく自分が幽霊だってことに……気が付いたのさ。
 んで、あれよあれよと言ってる間にあたしの葬式が始まってさ――その席で、母さんが泣いてたんだよ……『ダンスを見せてくれるって話……嘘だったの』って……」
 声が震えている。
 ちらりと、渚の方に視線を向けると彼女の目には涙が溢れていた。
「女手一つであたしを育ててくれてさ……あたしがコレをしたいって言うと文句を言わず、逆に手を貸してくれるような人でさ……あたしなんかさ、本当にそんな母さんに甘えるだけのただのすねかじりで……だからせめて、前から見たがっていたあたしのダンスを見せてあげようと思った…のに……なのに……………」
 そこから先は、声が擦れきって聞き取れなかった。
 沈黙が二人の間に落ちる。
 渚のような(ゆうれい)に会う事は別に初めてではない。初めてではないのだが、こういった状態で掛けてあげる言葉というのはいつも思いつかない。
 気休め程度ならむしろ逆効果だろう。
 遊華は沈黙の間、遊華は思考を回転させ――
「くちゅん!」
 突然くしゃみがでた。
 これには渚も、くしゃみをした本人も目を丸くする。
 一瞬後、先ほどの物とはまったく別の沈黙が落ち、
「く……くくく……」
 渚が笑いを堪えるように震え始めた。
「あ、あ……あの、ご、ごめんなさいぃぃっ!」
「くぁ……あ、はは、あははははははは」
 あまりにも場違いなくしゃみに赤面する遊華に、大笑いする渚。
 さっきまでとは打って変わり、場が明るい雰囲気に包まれる。
「そ、そんなに笑わなくても……」
「く、ははは……ごめんごめん。いやぁ、でもまさかこんなタイミングでくしゃみをされるとは思わなかったから」
 言われて、遊華はますます赤面しうつむいてしまう。
 そして、
「くしゅん!」
 再びくしゃみをしてしまい、赤面度がさらに二乗される。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!」
 渚は必死に堪えるが……
「あはははははははは」
 ついには我慢しきれなくなってしまったのか、先上に大笑いを始めた。
「あはっははははっは」
「わ、笑いすぎです……」
 穴があったら入りたいやら、どこか遠くへ旅立ちたいやら――とにかくこの場から去りたいような気分一杯の遊華に、
「あははは……ごめんごめん。確かにちょっと笑いすぎたかも――で、今更なんだけどさ、今日ってもしかしてめちゃくちゃ寒い?」
 目じりの涙を拭いながら、渚は訊いてきた。
「はい」
「やっぱり寒かったのかー……。遊華の息が白かったからそうは思ってはいたんだけど、この身体だと、暑さ寒さとか感じないからさ。
 こんな寒空の下で引き止めちゃってごめんね」
「あ、いえ……勝手に足を止めてダンスを見ていたのはこっちですから謝らないでください」
「そう?」
「はい」
 笑いを収め少しバツの悪そうな顔をする渚に、遊華は笑み返し立ち上がる。
「じゃあ、わたし行きますね」
「うん」
 そうして、遊華はその場から立ち去ろうとして、ふと思いつき、足を止めた。
「どうしたの?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいね」
「?」
 遊華の行動がイマイチわからなかったんだろう。渚は首を傾げるが、一応、律儀に待ってくれる。
 遊華はポケットからメモ帳とペンを取り出し、メモ張に住所と略地図を書いて、そのページを切りとった。
「渚さん」
「なに?」
「あの、コレ」
 差し出されたメモの切れ端を見て、渚は苦笑する。
「遊華……分かってるでしょ? 幽霊ってのは基本的には物に触れないことぐらい」
「知ってます……けど、これは平気だから」
 遊華の言葉の意味がいまいち分からず、渚は眉をひそめるが、それでも恐る恐るそのメモに手を伸ばす。
「あれ……?」
 そのメモには触ることが出来たのだ。
 半年ぶりに味わった物に触れるという感触。
「わたし……『幽霊が触ることの出来るモノ』を造れる……というのとはちょっと違うかな……
 ―――あ! モノを『幽霊が触れることの出来るモノ』に変える……ということが出来るんです」
 渚はそのことに驚きながらも、その小さな紙切れの感触を懐かしむように楽しむように両手で触れてから、目を通す。
「これは?」
「わたしの働いている喫茶店の場所です。ちょっと変わったお店なんで、気が向いたら来てください。できれば夜の八時以降に来てくれるとありがたいです」
「でも、幽霊のあたしが行って平気なの?」
「大丈夫ですよ……『ちょっと変わったお店』ですから。
 それに、幽霊とはいえ苦しんでいる人をほって置けるほど、人間が出来てないんです。わたしは……」
 数歩歩いてから、遊華は振り向き、渚にウインクを送る。
「苦しんでる? 私が?」
「はい。未練があるから、こうして幽霊としてこの場に残ってるんだと思いますから」
「……………」
 その言葉に何か思うことがあるのか、渚は黙り込む。
 そんな彼女に遊華は微笑みかけ、
「それじゃあ、わたし……今度は本当に帰りますね」
 踵を返した。
「遊華」
 歩き出そうとしていた遊華の名を渚が呼ぶ。
「はい?」
「明日、行かせてもらうよ。
 それとさ、あたしのこと呼び捨てで呼んでよ。あたしだって、あんたのこと『遊華』って呼び捨てたいからさ」
 そう言われて、遊華は笑顔で応えた。
「わかりました。それじゃあ、おやすみなさい『渚』!」
「うん。おやすみ。また明日ね『遊華』!」


 互いに別れを交わし、公園を出ると遊華は携帯をとりだして、とある場所に電話を掛ける。
 時間が時間なので多少は怒られるかもしれない。だが、遊華は自分で自覚しているが治しようのない悪い病気が出てきている。
[はい……香具師邏(やしら)探偵事務でしゅー……]
 明らかに寝起きを起こされた不機嫌な幼い声。声は幼いが実際は結構な歳のはずである――そんなこと本人の前ではいえないが。
「あの……喫茶『夕幻花』の柊です」
[なぁにぃ?]
 その不機嫌ぶりを隠す気なく、向こうは返事をしてくる。
「実は至急調べて欲しい事がありまして……」
[やだ]
「聞かなくても大体予想はつきますが、念の為に理由をきかせてもらえますか?」
[眠いから]
 やはりというか何と言うか――だが、リミットは明日の午後八時までだ。ここで彼女に言い負かされるわけにはいかなかった。
「そう言わずにお願いします」
[はいふぁい……まぁ、遊華ちゃんが電話してくるなんて、大抵は断らしてくれない事だからねー……慣れてるけど……でもねー……夜してくるのはー……にゅー……反則だよー……」
 まだ寝ぼけた声ではあるが、
[とりあえずー……話くらいは聞いてあげるからー……言ってみなしゃいー……うー…]
どうやら話だけは聞いてくれそうだ。
 あっさりと話がすすんだのには拍子抜けだが、これは好都合である。
「ありがとうございます。お礼は後でちゃんとしますから」
[そっちからー……頼んでくるんだからー……ううん……報酬を出すのは当たり前でしょう。うー……それじゃあ、……えーっと……あれよ……こんど遊びにいったときー……奢って]
「はい。それでよければ」
[でー……? 何を調べればいいのー?]
「はい。半年前のバス横転事故で亡くなった黛さんの住所をお願いします」
[はー……遊華ちゃん……また病気?]
「えっと……はい」
 そうこれは病気だ。
[何度もいうけどさー……あんまし、そういうお節介しない方がいいよー……特に幽霊絡みは……さ。
 ま、一応調べてあげるけど……]
 お節介と言う名の病気。
「ありがとうございます」
[じゃあ、明日――じゃないや、今日? うー……まぁ、どっちでもいいけど……レポートをFAXするねー……お昼まででへいきぃー?]
「はい。お願いします」
 困っている人を見ると……それがどんな人であろうと手を貸したり差し伸べたりしたくなってしまう病気。
[ふぁーい……]
 今電話している相手――香具師邏(やしら)姫在(きあ)に散々治せと治せと言われながらも、まったく治る気配のないあたりある意味重症である病気。
 彼女に言わせると遊華のお節介は常人の思う限度を超えたお節介をする事が多く、見ていてハラハラするらしい。
[じゃあー……お話ぃ……終りー……だよねー……?]
「ええ」
[おやしゅみなしゃいー……]
「おやすみなさい。姫在さんよろしくお願いしますね」
[ふぁーい]
  電話が切れた後、すっかり冷え乾いた髪に触れながら遊華は空を見上げる。
 絶望の淵に立たされたとき、自分に差し伸べられた暖かい手。それに自分はどれだけ助けられた事か。
 それを忘れられないから、自分と同じように困っている人に手を差し伸べ、救ってあげたい――そうだと思っている。
 だが手を差し伸べる事が必ず正しいとは限らないし、場合によっては遊華が無理矢理、求められてもいないのに手を引っぱる事がある。
 助けて欲しくなかったと怒られる事もしばしばあるが、それでも、他人を助ける事を止めようとは思わない。
 自分でも何で困った人を見つけるとこうも止まらなくなるかわからない。
 もしかしたら自己満足――あるいはエゴの類かもしれないが……。
 遊華は月に向かって手を伸ばし、まるで月を握り締めるかのように手を閉じる。
 発作のようなものなのだ。遊華にとって人助けは。条件を満たす人が目の前に現れると、どんな存在だろうと手を差し出す。そこに打算も思考も理由も下心も存在しない。
 だから、姫在に病気だと言われてしまう。
 だが、それでも――
「理由がわからないなら――助けたいから助けた……理由が分かるまでは、そんな理由でもいいよね? 別に」
 誰に言うワケでもそうつぶやいて手を下ろす。
 少し出てきた冷たい風に髪を流されながら、遊華は帰路へとついた。


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