本棚   TOP


待雪想紙




「お姉さんって、吸血鬼なの?」
 そう声を掛けられた時、まず最初に弓塚さつきは自分の耳を疑った。
 それから、自分が吸血鬼になってから、今のように日の下を歩けるようにまでの何年もの月日を走馬灯の如き速度で思い返し、あぁ――苦労したな自分、とちょっと目の端に涙が滲む。
 そうしてようやく他人に悟られず、人間として――当然、吸血は必要だが――生活できるようになり、故郷からかなり離れたこの場所でなんとなく女子高生をやり直そうかと考えていた矢先に、この質問である。
 なんとなく自分は物事の隠蔽する能力が劣悪なのではないかと邪推して嘆息。
 そうしてそこまで思考を回してからようやく、声のした方へと視線を向ける。
 そこにいたのは十歳半ばくらいの女の子。どこか昔の自分を思い出させるような容姿をしたその女の子は、何やら期待のこもった眼差しでこちら見上げてきていた。
(う〜ん……なんて答えよう?)
 女の子の目は明らかに、さつきが吸血鬼だと肯定してくれることを期待している。
 だがこの街に、かつてさつきが通っていた学校に居た先輩のように、一般人を装った教会の手の者がいないとも限らない。
 もし今、そういった人間が聞き耳を立てていた場合、うかつに首肯して、それを知られた時は目もあてられないのは確かだ。
 今のさつきであれば、教会の三下程度どうという事はないのだが、ようやく腰を落ち着けようと思った街で騒動が起きるのも、騒動が起こるのも面白くない。
「どうしてそう思うの?」
 とりあえず、当たり障りがない感じで質問を返すことにした。
 ――が、
「え?」
 質問をしてきた女の子はなぜかグラリと傾くと、そのままさつきの方へと倒れてきた。
「え? え? ねぇ、ちょっと?」
 咄嗟に受け止めたものの、ぜーはーと苦しそうに息をしている。
「ねぇ大丈夫?」
 訊くが返事は返ってこない。
 どうしようかと悩んでいると、女の子はさつきの服をぎゅっと掴むと、
「……手術………いや………死ぬのは………もっといや……」
 苦しそうにそう呻く。
 そんな女の子に、さつきはどうしようかなんて悩みを脇へと追いやると、
(手術が嫌で抜け出してきたのかな? ――それなら、病院はそんな遠くないはずだよね)
 彼女をお姫様抱っこの要領で抱き上げた。
「すみません! この近くにおっきな病院ってありませんか!?」


         ★


 そのお姉さん胸元に見えたのは、血みたいな汚れの付いたお月様。ところどころに枯れた草木が生えていた。そして、そんな荒廃した月の真ん中に、一輪だけ白く輝く小さな花ががある。それはわたしだけにしか見えないマーク。
言っても誰も信じてくれない。
 だけど、それは、その人のコトをよく表したマーク。  色んなマークを視てきて、初めて視たマークだったけど、なぜだかわたしは、血と月が吸血鬼を表しているような気がした。
 わたし吸血鬼がいるなら、会いたいと思っていた。むしろ、会えるのなら吸血鬼にして欲しかった。
 だから、街を歩いていて、お姉さんを見かけた時は嬉しかった。
 思わず小走りで彼女の元へと行くと、わたしは声を掛けた。
 するとお姉さんの胸元のマークの脇に、ぐるぐると回る渦が増える。困っている人あるいは迷っている人に追加されるマークの一つだ。  どうやら本当に、この人は吸血鬼なのかもしれない。
 正体がばれて焦っているのかどうかは分からないけれど、困っている。
 この人はきっと良い吸血鬼(ひと)だ。なんとなく、わたしはそう感じる。一輪だけある、枯れていない花がきっと性格を示しているんだと思う。
 なら、ちゃんと説明をすれば吸血鬼にしてもらえるかもしれない。
 そんな期待に胸を膨らませていると、唐突に、心臓が鳴った。
 歯を――食い縛る。
 高鳴るとかそういうレベルじゃなく、一瞬、途方も無く大きくなったかと思うと、その大きくなった心臓を元に戻そうと無理矢理ロープか何かで縛り付けるようなそんな痛みが胸の辺りに広がっていく。
 息が上がる。身体が酸素を求めているっていうのに、肺はその全てを外に出そうとしているみたい。
 せっかく、吸血鬼に会えたのに……。
 意識が薄れる。全てが白く、なって、いく。
 いやだ……きっと、病院に戻される……。
 成功率が五分。でも手術しないとわたしは持たない。
 失敗すると死んじゃう手術なんて嫌。でも、死ぬのはもっと嫌。
 真っ白な世界で、伸ばした腕が何かをつかむ。
 ただ必死に、自分が何を掴んでいるか知りたくて、なんとか意識を繋ごうとする。そしたら、一瞬だけ、白い世界に隙間が出来た。
 お姉さんの服。それをわたしは掴んでた。
 だから、意識がすぅっと無くなっていく中で、せめてこの手を放さないように……目が覚めても、またこの人に会えることを願って……。


         ★


「君がこの子を見つけてくれたんだってね」
 呼吸が落ち着き、寝息を立て始めた症状に、今まで彼女を診ていた初老の医師が布団を掛ける。
「お礼を言うよ」
「あ、いえ――あの……この子、どこか悪いんですか?」
「うん? あぁ――まぁね。大した事はないんだが、もともと身体が弱くてねぇ」
「そうですか」
 自分で訊いておきながら、さつきは無関心な相槌をうつ。
(私には――関係ない……よね)
 彼女の穏やかな寝顔を少しだけ見る。ちょっとだけ、おいしそうだな、などと思う自分に苦笑し、告げた。
「それじゃあ、わたし帰りますね」
 医師と助手として来ていた看護婦がそれぞれが一言づつお礼を言ってくる。それに返事をしてから、ベッドから離れようとした。
「わ、たたた……」
 ――が、腰の辺りが引っ張られ少し仰け反った。
「?」
 引っ張られた辺りを見やると、そこには上着の裾を掴んでいる手があった。
「あら? 弓塚さん……でしたっけ? 気にいられちゃったみたいね」
「えーっと……」
 とりあえず困ってみる。
 そんな様子を見ながらクスクスと笑っている看護婦に視線を向け、うめく。
「あの……笑ってないで取ってくれません?」
「良かったわねぇ。この子、わりと人見知りするのよ」
「この場合って、良かったとか良くないとか、そういうの関係ないかと」
 この場にいる白い二人は笑うだけで一向に外してくれそうにない。仕方がないので、自分で外そうと手を伸ばした時、ふと、先ほどのうわ言を思い出す。
(死ぬかもしれない手術も、死ぬのもいや……か)
 それから天を仰ぎ、つくづく自分は人がいいかもしれないという事を痛感しながら嘆息する。
「仕方がないんで、この子が手を放してくれるまでここにいます」
 これには意外だったのか、二人は少し驚く。だが、それから笑顔に変わるとうなずいた。
「じゃあ、お願いしようかしら。この子、明日が手術だっていうのに、すぐ逃げるんですもの」
「じゃあ、わたしはお目付け役ですか?」
「ふふ、そうかもね」
 わりとステキな笑顔で、看護婦が笑う。
「それじゃあ、私達は行くが、宜しく頼むよ」
「悪いけど、椎夏(しいか)ちゃんをお願いしますね」
「はーい」
 病室を出て行く二人を見送ると、さつきは手近にあった椅子を手繰り寄せて腰を掛ける。
「あなたねぇ……わたしは恐い吸血鬼さんなんだよ? なのになんで裾を掴んでるのかなぁ?」
 訊いたところで、眠っている彼女――椎夏といったか――が返事をするわけがない。
 特にやる事もなく、ぼうっとしていると段々と眠くなってくる。
 日はまだ高い。ここの所、調子に乗って昼間に出歩きすぎたのかもしれない。この辺りで、少し休養するのも悪くは無い。なら、彼女が目を覚ますまでの間――出来れば日暮れまで、眠ろうか。
(うん。そうしよう)
 とりたてて深く考えずに、さつきはベッドの脇につっぷした。


          ★


 死にたくない。死なない躯が欲しい……だから、わたしは――わたしは、吸血鬼の夢を見る……。


 目を覚ます。外が薄暗い。ずいぶんと時間がたってしまったみたい。
 せっかく見つけた吸血鬼のお姉さんを目の前に、意識を失ってしまったことにやるせなさを感じながら体を起……そうと思って気が付いた。
「あれ?」
 わたしは……まだ……何かを……掴んでる……。
 恐る恐る――期待を持って――ゆっくりと――コレが現実である事を祈り――横を見やる。
 いた……。そこに居た。
 両腕を枕にして、座りながらベッドに突っ伏して眠っているその人は、間違えなく街で出会ったあの吸血(ひと)だ。  でも、なんで?
 そもそもこの人はわたしとはまったく無関係なワケだから、ここで寝ている理由がないワケで、確かにわたしは服を掴んでたけどそれだって外そうとすれば簡単にはずせたワケで……。
 なんだかよく分からず、両手の人差し指でそれぞれ左右のこめかみを押さえながら首を傾げて、ベッドの上で悩み悶えるわたし。
 まぁ、だから当然と言えば当然なんだけど、わたしがベッドの上で暴れていたからか、
「う……ん〜ん……」
 お姉さんは目を覚まして、ゆっくりと身体を起した。
「ふあ……おはよう。起きてたんだ」
「う、うん」
 眠そうに目を擦りながら訊いてくるお姉さんに、わたしはなぜかドキドキする。
 どちらかといえば可愛い系の人なのに、大人っぽいとは違うどこか妖艶な雰囲気も持っているからかもしれない。
「ん〜っ!」
 お姉さんは眠気を覚ますように軽く伸びをする。
 あ、そうだ。
「あの……な――」
「あのさ、なんで私が吸血鬼だって分かったの?」
 ――んで、わたしの横にいるんですか……って、訊きたかったんだけど、先に質問を言われちゃったせいでほとんど口をパクパクさせるだけになってしまう。
「? どうしたの?」
 金魚のように口パクしているわたしが気になったのかもしれない。
「あ、えと、大丈夫……です」
 とりあえず、それだけ答えてこっそりため息をつく。
「それで、何でか、って話ですけど」
「うんうん」
 これはあんまり信じてもらえない話だけど、この吸血鬼(ひと)なら信じてもらえるかもしれない。
「わたし、視えるんです」
「視える? 何が?」
「んー……人の、心というか本当の事というか、そう言うものがマークみたいな形で」
「それって、私が吸血鬼って事も分かるんだ?」
 うなずく。それからどんなマークが視えているかも説明した。
「その白いお花って、どんなの?」
「え?」
 意外な質問にちょっと困ったけど、しっかりと彼女の胸のマーク――はたから見るともしかして胸に目線を向けてる変な子?――を見ながら解説する。
「どこか可憐な感じがする花で、チューリップみたいな葉っぱと、お花は――うーんと、下向きに白いのが一つ咲いてます」
「花びらが三枚で、それぞれに緑色の斑がついてたりしない?」
 その通りだったんでうなずく。なんで分かったんだろ?
「うんうん。あなたみたいな能力を持つ人がそういう花を私の中に視てるっていうのはちょっと嬉しいな」
 本当に嬉しそうに言うから、何で分かったのかちょっと訊きづらい。
「あ、それともう一ついいかな?」
「いいですけど」
 あぁ……何か、どんどんこっちから質問する機会が減ってきてるような……。
「なんで吸血鬼になりたいの?」
 音にするならば、パキン! という感じ。
 さっきまで和やかだった雰囲気は一転、薄い氷の幕がわたし達を包んだように冷えた雰囲気へと変わった。
 あぁ――このお姉さんは本物なんだ――なんて事を思ってしまう。そして、それと同時に、この変化した空気に飲み込まれたのか、身体が震えだす。
 正直――恐くなっていた。
「なんでって――」
「いい事なんかないよ。吸血鬼になったって」
 口調こそ穏やかだけれど、お姉さんの持つ月は、猛吹雪に見舞われている。それだけわたしに怒ってる。
 でも――なんで?
 そう思っていると、お姉さんマークになんだか小人が現れた。
「おいしいモノを食べれなくなるし、お日様の下なんてまともに歩けなくなる。自分だけ若いままで周りのみんなは年取ってくし、いつ教会の異端刈りに見付かって消されるのかってビクビクしてなきゃいけないし――」
「でも!」
 なぜかそれ以上は言わせちゃいけない気がしてわたしは遮る。
 分かっちゃたから、お姉さんが怒ってる理由が。
 胸元の吹雪が舞う月の中で、二頭身くらいのお姉さんと眼鏡の男の人。それからその男の人に似た頭に角の生えた人。その三人が色々ちょこまかと動いている。そして角の人がお姉さんに噛み付くと、お姉さんから角が生える。それから角の人は眼鏡の人にパンチをされて場外へ。でもその後、お姉さんは十字架と白いドレスに追い掛け回されて、眼鏡の人の元へ行きたがってるのにうまく行けない。その間に、眼鏡の人はうつぶせに倒れて、頭に天使のわっかが付く。
 つまりこれはそういう小芝居。吹雪が舞う月の上で繰り広げられるこのお芝居は――たぶん、お姉さんが今までの出来事を思い返しているから。芝居を見て分かった。だから、安易に吸血鬼になりたいと言ったわたしに怒ってるんだ。
 でも――わたしにだって理由はある!
「でも、それでも吸血鬼になれば死なない!」
「死なないワケじゃないわ。人の血を吸わなきゃ生きていけなくなるの」
「病気に負けることはなくなるでしょ!」
「日の下には出られなくなるんだよ」
「お姉さんは歩いてた」
「わたしは特別。普通は無理なの」
「それでも生きてはいける!」
「………………………」
「………………………」
 しばらく二人は無言で見つめあう。
 突然、空気が軽くなった。
「なんで、そんなになりたがるのかなぁ」
 嘆息交じりでお姉さんがつぶやく。 
 別にそれは質問じゃないのかもしれないけど、この目のせいでお姉さんの事を知ったから、わたしもわたし自身の事をおしえないとフェアじゃない気がした。
「わたしは――明日の手術を受けないと、もうあまり長い事生きていけないらしいから」
「なら受ければいいだけじゃない?」
 それは当然の意見。でも……
「手術の成功率は五十%なんだって。失敗したら終わりらしいんです。してもしなくても死は傍にいるから」
「だから吸血鬼になった『死』だけでも回避しようってこと?」
 うなずく。
「なんで失敗するって決めてるのかな?」
「別に――決め付けてるってワケじゃないです」
 うまく言えない。でも、死ぬのは恐い。だから、成功率が五分五分の手術は恐い。
「ねぇ、手術って何時から?」
「え? 一時からですけど……」
「じゃあ、明日その少し前の時間に、顔出すね」
「え?」
 言うが早いかお姉さんはバイバイと手を振りながら病室を出て行った。
 時計を見ると、そろそろ面会時間が終わるところだった。


          ★


 病室からの出かたは少し強引だったかもしれないな――と、思い返す。
 とはいえ、あのまま居れば思いついた事がバレてしまう可能性があった。
 だから、思いつくのと同時に足早に病室を後にしたのだが――
「露骨だったかなぁ……」
 気持ちは分かる、というような安易な同意はしたくなかった。あの少女の気持ちが分かるものなど、あの少女と同じ状態になったことがある者だけのみだ。
「問題はどうやってやるか――なんだよねぇ……」
 ぼんやりと、人通りのない公園のベンチに腰掛けながら考える。
「最初に魔眼で暗示を掛けて……あ、本当に血を吸うのはさすがにまずいかな? 手術に影響しちゃったら本末転倒だし……」
 彼女――椎夏を手術台に上げる作戦は思いついた。だが、いいやり方が思いつかず、結局彼女は食事がてらにその思いつくやり方を片っ端から試すのだった。


          ★


「覚悟は出来てる?」
 お姉さんはやってくるなり開口一番そう言った。
 何のだろうか――と考えていると、次の句を続ける。
「吸血鬼になりたいんだよね?」
 わたしの目を覗き込むように、中腰になって訊いてくる。
 昨日――あれだけ渋っていたのに?
「なりたいけど……いいの?」
「正直反対だけど。あなたがどうしてもって言うなら」
 じっと、お姉さんはわたしを見る。
 ドキリと一瞬だけ胸が鳴る。
 わたしもお姉さんを見る。
「じゃあ、お願いしていい?」
 お姉さんはうなずく。
「では――頂きます」
 そう言ってお姉さんはわたしの首筋に噛み付いた。
 変な感じだった。噛まれた場所から血じゃない何かが抜けていくような……。血液検査で血を抜くのとはまったく違う感覚。すごく気持ちがいい……。
 頭が白くなっていく。でも、苦しさで視界がなくなるような緊迫感はなかった。どこか夢み心地。
(いいんだよ。気持ちよかったらそれに身をまかせて)
 お姉さんがしゃべっているわけじゃない。頭の中に声が響く。甘い声。
 これなら確かに噛まれた人は抵抗する気なんてなくなっちゃいそう――
 力が抜けて……意識が……薄れて……


 目を覚ます。
 辺りを見渡すと病室にはわたし一人。いや、正確には相部屋だから他に人が居るけれど、わたしの区画にわたしは一人。お姉さんもいない。
 首筋に触れる。噛み痕はある。
「わたし……どうなったの?」
 身体が重い。思考がまとまらない。
「あ、椎夏ちゃん。目が覚めた?」
「菊池さん?」
「思ったより元気そうね」
 いつも優しい看護士さんはクスクスと笑う。
「あの……わたし……」
「手術は成功。あの弓塚さんて人には感謝しないとね」
「……え?」
 思いっきり眉をひそめる。
 菊池さんが何を言っているのかイマイチ分からなかった。
「コレ。弓塚さんから預かったわよ」
「弓塚……さん?」
「ほら。街で倒れたあなたをここに運んできて、しかも目が覚めるまで傍にいてくれた人」
 ああ――あの人の名前って弓塚っていうんだ。
 今更ながら名前を知った自分になんとなく苦笑しながら、受け取った封筒を眺める。
「手術が終わったら、カーテンを開ける前に読んでっていってたけど……なんでカーテン開けちゃダメなのかしらね?」
 菊池さんは首を傾げるけど、わたしにはだいたいの理由は想像がつく。
 とにかく急いで内容を確かめるために、封を切って手紙を読む。
 読む。
 読みながら手紙にも書いた人の気持ちとかがマークみたいな形で出ればいいのにと思う。
 と――そんな思いが通じたのか、手紙の真ん中から一生懸命這い出すように小さなお姉さんが出てくる。昨日見た二頭身のお姉さん。
 ちょっと腰が引っかかってるのか苦しそうに両手に力を込めてようやく出てくる。
 それから、そのお姉さんはペコペコと謝りだした。手紙ではちっとも謝ってないっていうのに。
 なんとなく、謝っているそのお姉さんをデコピンの要領で弾く。すると、そのお姉さんはパタリと倒れた。
 あ、実はわたしこのマークに触れたんだ。ちょっと今更なことに驚きながら手紙を畳む。
 それから――
「ちょ、ちょっと椎夏ちゃん! 当分は安静にしてないと」
「じゃあ、菊池さん付き合って」
「どこに?」
「屋上」
「で、でも……」
「屋上!」


 なんとか菊池さんとの勝負(?)に勝ち、屋上へとつれてきてもらった。
 外は明るく、太陽はさんさんと輝いている。
 わたしは街全体を見渡せる場所まで連れて来てもらうと、想いきり息を吸い込む。
「ねぇ……椎夏ちゃん――絶対安静だってわかってる?」
 物凄い不安そうに言ってくる菊池さん。まぁ、何をするかきっと予想がついたんだろう。
 でも、遅い。
 わたしは菊池さんを無視して吸い込んだ空気を音と共に一気に吐き出した。
「さつきお姉さんのバカぁぁぁあぁぁぁっ! お姉さんなんか吸血鬼じゃなくて嘘吐鬼(うそつき)で充分だぁぁぁぁぁっ!」
 ぜーぜーっと肩で息をするわたしに菊池さんは完全に頭を抱えている。
 そんな彼女を横目に、
「でも――ありがとう」
 わたしは小さくつぶやいた。



 そうして数年。あれからさつきお姉さんには一回もあっていない。
「ねぇ、わたしが実は吸血鬼なんだ、って言ったら信じる?」
「何言ってるんだ? お前」
 横に居る彼氏に訊いてみたけど、まぁ、妥当な反応。
 適当に信じるか、訝しむか、基本はどっちかだろう。
 きっと昔、本当の吸血鬼に噛まれたことがあると言ったところで、この『真実の眼』同様に信じてもらえない。
 お姉さんが手紙で命名してくれたこの眼も、大分使いこなせるようになってきて、今では好きなタイミングで使えるようにまでなった。制御できるようになってからは常時視ているのではなく、視たい時だけ視るようにしている。
 だから、気まぐれではあった。なんとなく、何も無いこの道で、何も居ないこの道で、眼を使ったのは。
 すると、見覚えのあるあの血で汚れながらも一輪小さながお花が咲いている月のマークがちらりと視えた。
「……今の……」
「椎夏?」
 わたしが足を止めたから、不思議に思ったのか彼氏は首だけ後ろに向けてきた。
 そしてすぐに、わたしはそのマークがちらりと視えた裏路地へと向かって走り出した。
「お、おい椎夏!」


「待って! 嘘吐鬼お姉さん!」
「ひどいなー……別にウソを吐いたつもりはないんだけど」
 もの影から現れたお姉さんは、服装こそ違えど、あの時と同じ容姿だった。
 目があってなぜか少しドキンとした。
 これって恋?――なワケないね。
「手術成功したみたいでね」
「うん。でも、何であの時――」
「吸血鬼にしなかったのかって? 理由は簡単。結局椎夏ちゃんの心にも、わたしと同じスノードロップが咲いてたから、かな」
「え?」
「だからわたしは背中を押してあげただけ」
「意味がよく分からないんですけど」
「結局さ――吸血鬼って口実だったんでしょ? そうすれば手術に失敗しても死ななない。だから、死を恐れずに手術を受けれるっていう。私はそのきっかけを作ってみただけだよ」
「きっかけもなにも、わたしが意識を失っている間に手術されちゃったんですけど」
「知ってる。手術するなら逃げ出さない今のうちって看護士さんに告げ口したのわたしだもの」
「……………」
「でも成功したでしょ?」
「それって結果論じゃあ……」
「意識を失ってようがなんだろうが、結局は気の持ちようだよ。意識を失っていても、あなたは自分が吸血鬼になれたと思い込んでた。だから、無意識下の手術に対する恐れとかがなくなってたの。いくら意識がなくても人間っていうのは無意識に色々と考えてるからね――病は気からって感じで、失敗を恐れてたら成功するはずのモノも失敗しそうだから」
 ん……アレ? 良い事を言っているようで、なんだか誤魔化してるような……。
 ついでに言うと、わたしはその誤魔化しをどうにかできたような……。
「でも、椎夏ちゃんが元気そうでよかったよ。この街に寄り道してよかったかな?」
「わたしも……お姉さんに会えてよかった」
 今も――そして昔も。
「じゃ、行くね。きっと二度と会うことはないだろうけど」
「ちょっと残念けどお元気で」
「そっちもね」
 そう言って、お姉さんは踵を返し……
「あ、そだ」
 一旦、足を止めた。
「あのね。吸血鬼になると眼を介した簡単な暗示を掛けられるんだ。だからね、今も昔も、ちょっとだけあなたに暗示を掛けたの。わたしの姿が見えなくなれば暗示も解けるからね」
 そう言いうと、今度は超人的なジャンプで横のマンションの屋上まで飛んでいった。
 それにしても――暗示? どんなものだろう。
 首をかしげていると、裏路地に彼氏がやってくる。
「いきなし、走り出すなよなぁ。お前」
「ごめん」
 謝りながら彼氏の方に身体を向ける。
 ああ、そうか。
 暗示の正体がわかった。だからか――お姉さんの誤魔化しているのに気がつきながら、その本心を読めなかったのは。
「ところでさ、カズ。メイとミズキとユカリって誰?」
 彼の胸元にある桜の木。その木を中心にわたしを含めた四人がいる。それぞれが背の高い雑草で区切られていて、桜の木からだけ行き来できるようになっている。
 ちなみに、この男を意味しているであろうなよなよとした狼は、今のところはわたしのいる区画で眠っている。
 まぁ、つまりはそういうこと。
「いや、え? お前、何を……」
 うろたえると同時に、その狼は目を覚まし、マークの中にいるわたしに対して脅えるように小さくなる。
「何うろたえてるのかな?」
 わたしの眼はお姉さんのマークを視た状態のまま。言い換えれば、ONの状態。お姉さんと別れてすぐにコイツがやってきたのでOFFにし忘れたワケだ。
「さて、言い訳は聞いてあげるわ。面白ければ許してあげる」
「え、あ、えーっとだな……」
 ならなんで、ONなのにお姉さんのマークを視なかったのか。
 それが暗示の正体……視れないのではなく、視ることに意識を向けられなかったのかも。
 とりあえずわたしは、目の前で必死に言い繕っている彼氏を何て言ってフッってやろうかと考えていた。
      〜 Please breathe in my blood 〜 closed.



本棚   TOP